佐賀戦国史 最終話 治世の能臣、乱世の奸雄
前回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/01/21/220721
豊臣秀吉の九州征伐に大きな功績を残した鍋島直茂は、主君龍造寺政家に代わって肥前国の政治を行うよう命じられる。直茂自身肥前国を乗っ取るつもりがあったようには考えにくいが、龍造寺家臣団や領民は兼ねてから直茂の手腕を認めており直茂の下に着くことに対する抵抗も無かったようだ。
更に、政家は直茂の息子鍋島勝茂を養子にして病のため隠居したため、直茂と同様に勝茂も豊臣秀吉、また徳川家康によって肥前国支配を認められるに至る。ここに龍造寺家の影響力はほとんど消え去った。
朝鮮出兵は肥前国名護屋城を拠点に行われた。直茂は拠点を持つ肥前国の大名軍、龍造寺軍総大将として参戦しこの活躍により鍋島家による肥前国支配がほぼ確立された。
関ヶ原の戦いで勝茂は前哨戦では西軍に属した。しかし直茂は東軍に着くよう勝茂に命令し、東軍に寝返り。本戦に参加できなかったもののこの甲斐あってか戦後徳川家康に許された。しかし、一度西軍についた振る舞いにより肥前国佐賀藩の初代藩主は龍造寺政家の息子である龍造寺高房に任命された。だがこれも形式上であり、結局は鍋島勝茂が影響力を持っており、かつての戦国大名龍造寺隆信の弟達も鍋島家への忠誠を誓う。そしてとうとう鍋島勝茂が佐賀藩主として認められる(佐賀鍋島藩初代)。龍造寺高房は何度となく幕府に龍造寺家再興を要請したがもう鍋島家による支配が確立していたため幕府はこれを黙殺。高房は遂に憤死し、龍造寺家は完全に鍋島家の一家臣となり明治維新を迎えることになる。
この鍋島家による一連の動きを鍋島化け猫騒動という。気付いたら支配者変わってましたよーってやつ。直茂の政治手腕は有能だけど、直茂が肥前国の支配を成し得たのはどう考えても龍造寺隆信のおかげなんだよね。佐賀の小勢力に過ぎなかった龍造寺家をここまで大きくしたのは(やり方は卑怯、残酷でも)隆信の大きな功績。直茂がこの時から主君だとしたらこんな苛烈な領土拡張はできなかったと思う。隆信が肥前国を強引にまとめ上げてくれたおかげで鍋島家の天下になった。乱世は奸雄(隆信)が必要とされ、治世は能臣(直茂)が求められる。治世の能臣、乱世の奸雄。これを両方兼ね備えた三国志の曹操孟徳は天才だったわけだ(佐賀戦国史 完)。
↑実家。
運の悪いヒポポタマス
https://m.youtube.com/watch?v=myxshZl6Zt8
↑聞きながら読んで
月曜日。初インターン。合コン。楽しい。
火曜日。部活。元気。
水曜日。試合。試合後から咳込み始める。ちょっと叫びすぎたからかな。焼肉食べて元気つけよう。
木曜日。咳がまだ細く続く。部活中も何となく身体が怠い。バイトも早めに上がる。
金曜日。少し熱っぽい。でも良くあることなので早く寝て治そう。インフルの時の残り薬を飲み始める。明後日から合宿。
土曜日。熱。全身が痛い。食欲皆無。動けない。病院閉まる。最悪。月曜まで待とう。
日曜日。熱下がった。まだ全身痛い。食欲出てきた。合宿には行けない。
月曜日。今週の月曜が祝日だということをここで知る。少し遠くに祝日診療してる病院がヒットしたのでチャリで行く。希望。開いてなかった。絶望。
火曜日。多少の倦怠感と頭痛。最寄りの病院に行く。先々週で閉院の張り紙。絶望。結局前日訪れた遠い病院に行く。もう大丈夫だと言われる。希望。
希望と絶望に遊ばれて鍛え抜かれる(ultra soul)
文公という男
前回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2019/11/09/210007
↑うちの店長のチョコアート。楊端和。
男シリーズ第8弾。今回は春秋五覇の1人、晋の文公。
文公の名前は重耳という名前で、晋の王家の出身だった。重耳には2人の兄と1人の異母弟がいて、その異母が異母弟を王位に付けようと謀略をめぐらした。結果兄は自殺しもう1人の兄と重耳は国外逃亡、異母弟が王に即位。重耳は再び王として戻ってくることを夢見てここから長〜い逃亡生活が始まる。
重耳は出発の時、奥さんに「25年待って私が帰ってこなかったら別の人と結婚しなさい」と言って北方異民族に預けた。奥さんは「25年経ったら私の墓に大きな木が生えてしまっているでしょう、しかし必ずお待ちしています」と答えて見送った。
重耳は晋から衛に逃げたが衛は歓迎しなかったので斉に向かった。時の斉王は桓公。春秋五覇の筆頭だ。桓公は重耳に屋敷と妻を与えてもてなした。重耳はいつしか野望を忘れ斉でのんびり5年を費やした。これに呆れた重耳の付き人達は重耳が寝てるうちに斉から連れ出した。斉で作った妻もこれに協力した。目が覚めた重耳は激怒したが、「王となる野望を忘れたか」と諭され仕方なく受け入れた。重耳は若い頃から名士を好み側においていた。彼らが重耳の大きな助けとなっていた。
次に曹に向かい冷遇され、その次に向かった宋は楚との戦争で疲弊しているにも関わらず重耳をもてなした。後にその敵の楚にも向かったが、その時楚王から「この歓迎のお返しに何をくれるか」と重耳に問うた。重耳は「もし楚と戦をすることになったら三舎退きましょう」と答え、楚王は笑った。三舎とは3日で軍が進める距離のことである。
その頃晋では異母弟の王がクーデターで倒れ、秦に亡命していた兄が新王として即位。これは保護元である秦に無断で行ったことで、秦王はこれに激怒。楚にいた重耳に秦の軍勢を貸し与え、晋に攻め込ませた。
晋国民は皆重耳の帰国を待っていたためほぼ無血で重耳の新王即位が認められた。こうして晋の文公が即位。放浪期間19年。文公は北方異民族に預けていた奥さんをしっかり連れ戻した。
その後は冷遇した国をボコボコにし歓迎した国には援助を与えた。宋と楚の戦は依然終わらず、文公は宋に味方し楚と戦う。この時、文公は圧倒的に有利に戦いながらもしっかり約束を守り三舎退いた。このせいで戦局は大きく変わったが結果文公が勝利。この戦が文公が覇者として認められるキッカケとなった。
「文」っていう諡号が与えられるのは相当の功績を残した人だけ(他に良いのは武とか孝、良くないのは霊、湣)。多くの苦難を乗り越えた、桓公とならぶ春秋五覇の筆頭。
嫌いなポケモンランキング!
ポケモン歴3週間の私(ハイパーボール級)が何でも知ったような口で語りますが全くの初心者です。タイプ相性も完全には覚えていません。
5位 ドラパルト
いろんな属性の攻撃ができる何でも屋。マジで柔軟。特性すりぬけかと思ったらクリアボディだし。うちのエルフーンのおきみやげがただの自殺と化したわ。敵に来ると圧倒されるのに、自分が使うと強さを感じない、不思議なポケモン(圧倒的PS不足)。
4位 クソパルシェン
あの笑顔がもう腹立つ。からをやぶりながらつららばりをしつかり5発当てててくる。タスキ貫通。よくある急所。長いモーション。最近はウオノラゴンのエラがみ軸の構築にして苦手意識が薄れてきました。
3位 クソサニーゴ
このポケモン使う人って何がしたいの?そんなにこちとら時間があるわけじゃないんだが(テスト期間)。即死技がすぐ決まるとエクスタシー。
2位 ウンコダオラ
クソすぎでポケモンのランキングにまで現れ出た歴戦クシャルダオラ。風纏いながら全然降りて来ないし、ハントさせる気がさらさらない。何が楽しいの?
1位 ミミッキュ
もはやあのビジュアルも可愛く見えない。ただのつよいポケモン。以上。こいつのためだけにドリュウズ作りました。でも最近は相棒のヌオーで有利取れるようになってきたからそこまでかも。
プレステは投げるものがコントローラーだけどスイッチは投げるものが本体になるから困るよね。
ポケモン
今作からポケモンを始めました。
ポケモンを知らない人がほとんどだと思うので、どんなゲームか簡単に説明しましょう。
ポケモンはポケットモンスターの略で、そこらへんにいるモンスターをポケットに入れたり出したりして戦うゲームです。自分で育成したポケモンで相手を倒す、これが醍醐味。楽しい。
のは序盤のストーリークリアまで。その後は勝利しか求めない血に飢えたトレーナーの巣窟、「ランクバトル」に放り出される。まーじでさ、めっちゃ頑張って作ったんよ、うちのヌオー。(以下愚痴&専門語多め)夢特性のてんねん当てるまで何回もレイドバトルやって、当てて、今度は性格一致まで何回も後尾させて卵産ませる。ヌオー可哀想すぎるわ。後尾レスになるわこんなん。性格一致したら次はステータス優秀なのが生まれるまでメタモンとかいうバケモンと後尾させられるし。自分でやってて見てられなかったわ。強制異種姦。これがなかなか終わんねぇんだ。ちゃんと持ち物持たせてるのに。持ち物持って後尾すると賢い子供が生まれるらしい。ハードなプレイだな。
やーっとこさ引き当ててもこれでは「じこさいせい」覚えないからこれまたマニアなプレイでタマゴ技ってのを引き継がせんといかん。マジで大変。手塩にかけて育てに育てて可愛がったこいつがリザードンとかいうどう見ても草タイプ(唯一超弱点)使えなさそうな奴にソーラービーム撃たれて一瞬で溶けちゃうの。やってらんねぇよこんなん。
と、まぁこんな風に開始2週間でこんなにハマってるわけで。ポケモンってゲーム、すごいわ。
まことのバイト録③
ガシャーン!!(コップが割れる音)
私「すみません、失礼しました!」
社員S「大丈夫か??怪我ないか??」
私「大丈夫です。気をつけます。」
社員S「おぉ、良かった。阪大主将がこんなとこで怪我してしまったらあかんで。」
〜2時間後〜
ガシャーン!!(皿が割れる音)
社員Y「失礼しました!」
社員S「怪我ないか??」
社員Y「すみません、大丈夫です。」
社員S「お前はどうでもいいわ!〇〇(私の名前)や〇〇!破片飛んできてないか?」
私「大丈夫です笑」
社員S「佐賀の宝に怪我負わしちゃあかんでほんま。」
社員Y「すみません、いや〜無事で良かったっすわ。」
私(働きやすいわ〜)
P.S. 文章だけ読むとSさんがYさんいじめてるみたいに見えますが、お二人はめちゃ仲良しなのでもちろん笑いながらこの問答をしています。好きな社員さん達なのでカバーしておきました。あと、春のパン祭りを開催しがちなパン会社の方々、うちで宴会をする度に大量のパンを差し入れて下さって誠にありがとうございます。
佐賀戦国史⑦ 九州統一
前回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/01/12/224302
大名†龍造寺隆信†自身が討ち死にした沖田畷の戦い。佐賀に戻った鍋島直茂は領内の混乱を抑えるべく動き出すが、島津領と接していた肥後や筑後の国人勢力は一斉に島津に付き、筑前博多周辺も再び大友の支配下に入る。
†島津義久†は龍造寺隆信の首を鍋島直茂に送りつけるが、直茂は受け取りを拒否。これは島津に臣従しないという強い意志を†義久†に感じさせ、佐賀侵攻を一旦留まらせることとなった。
鍋島直茂は龍造寺隆信の息子†政家†を大名に立てて再興を目指すが、島津再侵攻の流言を信じた†政家†が祖母である慶誾尼らと相談して島津に臣従することに決めた。こうして、一旦肥前は島津の支配下に入ることとなる。
1586年、中央を完全に支配下に入れた†豊臣秀吉†は全国に私戦禁止令を出した。その頃から鍋島直茂は†龍造寺政家†代理として秀吉と連絡を取っており、九州征伐を促す。そしてこの頃から、肥前国における影響力が大名龍造寺家から家老鍋島家に移ってきていることが中央でも認知されることとなった。
私戦禁止令後も戦を辞めない島津軍に対して1587年に†豊臣秀吉†が九州征伐軍を起こした。鍋島直茂は臣従していた†島津義久†と手切れし†豊臣秀吉†に協力。島津攻めの先鋒を務め功を挙げた。これにより†龍造寺政家†は肥前国を安堵されると共に†秀吉†から直茂が政治を担うように命じられる。これ、大きな転換期。
†島津義久†は剃髪して降伏しここに九州三国時代は幕を下ろす。九州統一を成したのは三国のどこでもなかった。ここまで北部九州の勢力図は目まぐるしく変わった。初期は周防国の守護大名大内氏の影響が大きかった。田手畷の戦いで復興した少弐氏も再び征服され、大友氏も大内氏に歯が立たなかった。その大内氏は家老陶晴賢の謀叛により倒れ、北部九州も陶氏の支配下に入るが厳島の戦いにおいて毛利氏がこれを討伐。北部九州においては門司城の戦いなどを経て大友氏が毛利氏を退け、大友氏一強時代が始まる。大内氏衰退に合わせて復興した主家少弐氏を龍造寺氏が乗っ取り、今山の戦いで大友軍を退ける。大友氏は耳川の戦いで南で強大となった島津氏に敗れ衰退。これに合わせて龍造寺氏が北部九州を奪い取ったものの沖田畷に散る。そして島津氏の九州全統一が目前となった時に豊臣秀吉の大軍が到着。全てが秀吉の勢力下に入った。
〜次回予告〜
不明〜