都紀女加王墓前バス停で待つ。

長崎生まれ佐賀育ち 中高福岡大阪在住 完全趣味の自己満足ブログ。 @tsukimecha

ネタバレ注意

今日は別の授業で民族学博物館にも行ってきたんですよね。オセアニアのゾーンに人肉用フォークがあって悍ましかったので。ついでだしここで私の中の人肉食の歴史を綴ろうかなと。

 

まず1つ目は中国周の武王の父、文王の話が有名ですね。文王は殷の紂王に目を付けられて監禁されてました。そこで、文王の家臣はなんとか紂王に監禁を解いてもらえるよう賄賂を送ります。紂王は、文王が長い監禁の間(7年間)に錯乱してれば監禁を解いても怖くないと考えたわけです。そこで紂王は、文王の王子を凌遅刑に処してバラバラにし、文王に鹿の肉とかいって食べさせました。賢い文王は全てを察しましたがその肉を食べ、無事故郷に帰れたのです。文王が太公望を得るのはこのすぐ後の話。そして子の武王と太公望は紂王を討ち果たす事に成功するのです。

 

2つ目は古事記の話になりますが第2代綏靖天皇のお話。初代神武天皇は有名ですが第2代から第9代までは欠史八代と呼ばれあまり記述がありません。そんな少ない記述の中に人肉食が書かれたのが綏靖天皇。2代目からこんなんじゃ皇室も長くないだろうと思われてそうですが今125代続いてるんですよね。すごい。神武天皇が127歳で崩御し、後継者争いに勝った綏靖天皇。朝と夕方に7人も人を食べたというから驚き。なんか家臣の数が徐々に減ったらしいです。庶民じゃなくわざわざ大事なお偉いさんを好んで食べられるとは中々のグルメ通ですね。次第に家臣は「俺ら食べられるんじゃね?」と思って火の雨が降るというデマを流して綏靖天皇を屋敷に軟禁することに成功。第3代安寧天皇へと移っていきます。

 

最後に入間人間の「たったひとつの、ねがい。」友達にとりあえず読めと言われ読みました。2日寝込みました。ネタバレになるので内容は言えませんがここに並べさせていただきます。

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