都紀女加王墓前バス停で待つ。

長崎生まれ佐賀育ち 中高福岡大阪在住 完全趣味の自己満足ブログ。 @tsukimecha

三国志 世界観解説

三国志の英雄とか色々な人物について語ってきたけど、そもそも後漢三国時代ってなんで荒れてるの?って思う人もいるはず。今回は三国志がもっと分かりやすくなる解説。長くなっちゃった

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さて、三国志の物語が始まる後漢王朝末期はどうなっていたか。光武帝劉秀から始まる後漢王朝は、だんだんと皇帝に直接関わることのできる宦官が力をつけていってた。宦官はその立場を利用してあることないこと皇帝に言いふらして自分の都合の良いように世の中を動かした。これに反発した人達は清流派と呼ばれたけど、これらは党錮の禁という事件で多くが弾圧された。中央は宦官勢力による汚職で蔓延し、世の中は荒れ果て後漢王朝には「天からの徳」が失われたとされていった(易姓革命)。

 

中央がこんなんだから地方の諸侯はだんだんと政府に見切りをつけて半ば独立していく。実際諸侯が独立のそぶりを見せたら、皇帝が威厳を見せ大陸全土にその討伐を命じて鎮圧することが大事。これで皇帝の力を示せるのだから。でも、そんな情報も宦官によって握りつぶされたりして皇帝は何も知らなかった。

 

そんな中で起きたのが有名な黄巾の乱。区星の乱も、辺章の乱も全部そんな後漢王朝に対しての反乱。黄巾の乱を指揮した張角とか悪役として描かれたりするけどもしこれが成功してたら周の時と同じで易姓革命として扱われてたと思うよ。

 

各地で後漢王朝に対する反乱が起こるんだけど、それに対抗したのがまずは一部の諸侯達。彼らは後漢王朝から代々恩を受けていて、腐敗したとはいえ見捨てることをしなかった。例としては袁紹とか、孫堅とか、董卓とか。他には中央に仕えておりそこから派遣された者もいた。例としては大宦官の孫の曹操。最後に義勇軍。例として劉備

 

 

三国志の序盤の物語は「悪役から後漢王朝を守るぞ!」っていう感じ。最初の敵は黄巾の乱。次は宦官勢力(十常侍)。そしてその後に専横を極めた董卓。結局こういった敵と戦うために諸侯らが手を組んでるんだよね。

 

んで董卓は配下の呂布に殺されて、呂布は都を追われて、皇帝は都から逃げ出して、もう中央はめちゃくちゃになっていく。ここからの物語は「後漢王朝のもとで各地を統一して自分の勢力拡大するぞ!」っていう感じ。先程言った通り悪役を倒し勝ち残った諸侯達に後漢を滅ぼすつもりはない(はず)。でも、後漢に力がないのは確かだからこの機に自分の勢力拡大しちゃおう!というもの。日本でいう戦国時代みたいな感じ。足利幕府はあったけど各地で領土拡大してたでしょ。

 

そこで台頭していくのが袁紹曹操孫策。特に曹操は以前も書いたけど流浪の皇帝を庇護することで官軍っていうとてつもない大義名分を得た。だって自分の目的は後漢王朝としての目的に言い換えられるから。曹操の領土は急速に拡大し、遂には官渡の戦い袁紹を下し、もはや敵なしとなった。

 

そして次の章が「いや皇帝を良いように利用して結局お前悪者やーん」。これは劉備曹操に言ったとか。ここから「映画ドラえもん劉備の/曹操から後漢を救え!」が始まる。この映画で出てきたのが赤壁の戦いであり漢中の戦いである。

 

さらに次の章が「なら俺も皇帝になるわ」。曹操の息子曹丕の代で後漢は滅び、劉備がその後継として蜀漢皇帝に即位。便乗して孫権孫策の弟)も即位。三国鼎立。

 

この後はもうただただ3国間の争い。前半と違って中華共通の王朝ってのがないから、各々が自国の正義のために戦うイメージ。賊軍、官軍という着物は通用しない。

 

だらだらと書いたけどこんな感じ。結局分かりにくいかも。簡単に言うと

 

諸侯vs反乱軍

→諸侯vs宦官

→諸侯vs董卓

→諸侯vs諸侯 (諸侯ほとんど吸収合併)

劉備vs曹操孫権は適当にくっつく)

→魏vs呉vs蜀

 

Let's enjoy 三国志 life.