都紀女加王墓前バス停で待つ。

長崎生まれ佐賀育ち 中高福岡大阪在住 完全趣味の自己満足ブログ。 @tsukimecha

グレートブリテン史

ラグビースコットランドって出てきましたよね。

 

日常ではイギリスって出てきたりイングランドって出てきたりスコットランドって出てきたりなにかと分かりにくい。なので今回はグレートブリテンがどのようにできたかの説明。

 

まず、イギリスの首都と聞かれたら多くの人がロンドンと答えるはず。このロンドンを昔から抱えていたのがイングランド王国

んで、イングランド王国はどのようにできたかというと、世界史でゲルマン民族の大移動を習った時アングロサクソンが出てきたはず。大陸からグレートブリテン島に逃げた彼らが作ったのがヘプターキー七王国)。大陸から渡ってきたわけだからもちろん南部に固まった。最強がウェセックス王国で他にもサセックス王国とかエセックス王国とか。それらセックス・ピストルズを全部ウェセックス王エグバードが統一してできたのがイングランド王国。つまり、イングランド王国は元はゲルマン人国家。

 

ち・な・み・に私はドイツ語が大好きなので去年で終わるはずなのに今年も授業を受けてるのですが、この前ザクセン2格ってのが出てきた。普通ドイツ語は2格=所有格は後置修飾なんだけど、ザクセン2格は名詞の前に出ることがあるらしい。

そして、アングロサクソンのサクソンはザクセンと同じ。で、彼らが作ったのが英語。所有格はもちろん名詞の前につく。これって繋がってるのかなーって思ったり。

f:id:tsuki_mecha:20191021214710p:image

ザクセン選帝侯国。前身のザクセン大公国とはまた違うけど。

 

 

アングロサクソングレートブリテン島に渡った時、もともとそこに住んでた人がケルト人。南部をアングロサクソンに取られたからケルト人は北へ西へ逃げた。北へ逃げたケルト人らが立てた王国がまとまってできたのがスコットランド王国。同じように西にできたのがウェールズ公国

 

 

ウェールズ公国は16世紀にはイングランド王国に屈服するんだけど、スコットランド王国は割と長く続きながらイングランド王家と婚姻関係を結んでいた。そんな中イングランド王家が断絶したから、親戚のスコットランド王にイングランド王を兼任してもらうことになった。それがジェームズ1世スコットランド王ジェームズ6世、ステュアート朝、1603年)。

 

ジェームズ1世といえば王権神授説を唱えてピューリタンを弾圧して息子のチャールズ1世の代で起こるピューリタン革命の発端者として有名だけど、この王様は今のグレートブリテン王国の元を作ったとも言える。

まず、ジェームズ1世イングランド王になってからイングランドでの暮らしが快適すぎてスコットランドに1回しか帰らなかった。それどころか、同君連合なんて面倒だし同じ国にしちゃえば良いじゃん!って、共同通貨とかも作り始める。ちなみにこの時はイングランドスコットランドもどっちも反対したけど、約100年後の1707年の合同法で正式に合同してグレートブリテン王国が成立する。グレートブリテン島全域をおさめたのは意外と最近。

 

この同君連合ってのがヨーロッパ史を語る上で重要なミソになる。アイルランド方面はまた難しいからまたいつか。