都紀女加王墓前バス停で待つ。

長崎生まれ佐賀育ち 中高福岡大阪在住 完全趣味の自己満足ブログ。 @tsukimecha

2019

あけましておめでとうございます。

帰省していたので久々の投稿です。

 

2019年は特に何もなかった。ただ、家族で帰省して久々に祖父母に会いに行けたのは良かった。多分小学校以来?かな。

 

「反抗期」というものはほとんどみんな経験するものだと思う。でも、中坊時代私は「反抗期」がダサいと思っていたので、私に反抗期はなかった(と思っていた)。

ただ、親と出かけるとか、買い物に行くとか、そういったことに着いていくのは嫌になった。小学校の頃は夏休みや春休みに決まって宮崎の祖父母の実家に帰省したり、阿蘇や別府や霧島といった九州各地に家族で泊まりがけで行ったりしてたのだけど。

家族も旅行に行くことが無くなった。提案もしなくなった。提案してくれたところでその頃の私は付いて行かなかったと思う。妹はしきりにどこそこへ行きたいって言ってた気がする。両親は私に気を遣ってくれてたんだなぁ。多分その他の面でも私が反抗しないで済むように動いてくれてたんだと思う。私に反抗期がなかったのは周りのおかげだ。

中3で初めて失恋を経験して、私は一つ大人になった。その2ヶ月後に家族でユニバに行った。「これが家族で旅行に行ける最後かもしれんから」と父親は言っていた。妹ももう小6になっていた。

間もなく妹の壮絶な反抗期も始まり、私は寮に入り、親との接点も減った。週末に基本寮生はみんな実家に帰るのだけれど私は帰らなかった。特に帰る意味も感じてなかった。成績は下がり勉強する気も起きなかった。最初は成績のことでよく親に怒られたけど親も何も言わなくなった。私は腐っていった。中3で大人になったと思ったのにまだまだ餓鬼だった。

 

そのまま浪人。浪人期の話は何回もしたので割愛するけど、この期間のおかげで親のあらゆる面への気遣いに気付けて長い反抗期から抜け出した。妹も落ち着いて去年の夏やっと宮崎に帰れた。わずか4ヶ月後(つい先日)にまた宮崎に帰った。2019はそんな年。

ち・な・み・に中3でユニバに行った時、当時佐賀になかったサイゼリヤに感動して夕飯そこで食べた。2019はアホみたいにユニバに行った年でもあるのだけれど、その時のサイゼリヤがまだ同じ場所にあって行くたびに思い出す。母へ、あなたが酔い潰れたバックトゥザフューチャーは今ミニオンになっています。