EU4戦記 オーストリア編③ レオポルト8世の治世
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1511年に3代目オーストリア大公を継いだレオポルト8世は政治や軍事能力も高く立派な君主になることが期待されていた。ただ一つの欠点としては生殖力が低く、皇帝即位時の54歳の段階でまだ跡継ぎに恵まれなかった。
跡継ぎがいないオーストリア大公国から次の神聖ローマ皇帝を選出することはできないので、これまでオーストリアを支持していた選帝侯達も態度を変え始めた。有力候補は前回唯一オーストリアを支持していなかったザクセン選帝侯のヴェッティン家であった。
このままではいけないので、今度は新たにデンマーク王国に急接近。当時のデンマーク王国はスウェーデン王とノルウェー王位も兼ね、スカンジナビア半島全域を支配する強国だった。そのデンマーク王国とは第一話でも話した通り「未回収の神聖ローマ」を巡って対立関係にあった。しかし、両国の間は共通の同盟国であるポーランド王国を通して改善され、フランスを滅ぼした後にぶつかるであろうイングランド王国を仮想敵国とすることで同盟締結が成った。こうして新たにデンマーク王室のブリュッケンハウス家と繋がりを得たレオポルト8世はイタリア戦争中の1515年、ついに王子を設ける。再び選帝侯の支持はオーストリアのハプスブルク家に戻っていった。
ここで一旦いつもの国際情勢確認。今回もチラ裏関係図。赤が敵対、青が同盟。
こうして見るとフランス包囲網の裏で実はイングランド包囲網も組まれていたりする。依然選帝侯どうしの戦いは絶えず、厄介なのが北方諸侯を次々と滅ぼしているケルン大司教。マインツ大司教と組んでおりこれまた手が出せない。そろそろマインツとの同盟も切ることを考えていく必要がある。また、デンマークとポーランドはモスクワ大公国を仮想敵国としており、この戦いに巻き込まれる心配もあり。
1519年、第4次対フランス戦争。もとい、第2次フランス分割。同盟国をイタリア戦争中に離反させたおかげでロドス等の聖ヨハネ騎士団しか敵側参戦国はなく、もはやかわいそうに思えてくる。この戦いでついに首都パリをオーストリアに割譲させ、フランスの勢力を削ぐと同時にこの大都市をイングランドに渡ることを防いだ。
1524年には何者かが聖書を翻訳して民衆に広めているという知らせが入った。いよいよ来るか、宗教改革。ここからが神聖ローマ皇帝の正念場。
1525年、レオポルト8世が68歳で死去。皇帝選挙の結果息子フェルディナント1世が神聖ローマ皇帝位を継承。だが、オーストリア大公位は成人するまでの間はレオポルト8世の妃であるマグダレーナ(ホーエンツォレルン家)が務めることとなった。
次回から良いところで区切りつけてブログに上げます。長くなりそうなので。
最後に宗教地図。プロテスタントが広がっていく。
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