EU4戦記 ザクセン編⑨ スヘルテ・デルタ
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1284年、第2次索丁戦争。敵同盟国フランドル公国との戦争でブレダ要塞を落とし、ブレダをザクセンに割譲させザクセン領ネーデルラントを建設(ブレダの開城)。
1293年、ユトレヒト司教の要請でフリースラント伯領、フランドル公国に宣戦布告。陸戦は優位に進めていたものの年末に悲劇は起きる。
ザクセンロイヤル艦隊肥前は1142年の結成から修復を重ねて150年が経過しており、老朽化も目立った。さらに、たくさんの大型船を有していたことは外海では効果を発揮するが内海では障害となる。ローランド率いるフランドル海軍は肥前艦隊を狭い内海に誘い出し、スヘルテ・デルタの戦いで肥前艦隊を撃破。旗艦「肥前」は撃沈し、艦長フランツ・キルバッハも戦死。海戦は痛すぎる敗北に終わった。
戦後ヘクトル1世は肥前の後継となる新たな旗艦の制作を命じる。
1298年
第9代ザクセン王ヘクトル1世は旗艦の完成を見ることなく死去。フリードリヒ・クリスチャン1世が第10代ザクセン王に即位。同年、ボヘミア、イタリア方面の拡張に向けオーストリアと同盟を結んだ。
1301年
7年の歳月を経て新たな旗艦が完成。名前は「吉野ヶ里」。肥前に代わって活躍してくれることを祈る。
1304年、第11代神聖ローマ皇帝アルブレヒト1世死去。同じくホーエンツォレルン公のカシミル1世が第12代神聖ローマ皇帝に即位。
1305年、第3次索丁戦争。再びザクセン海軍とフランドル海軍が相まみえることになる。
フランドル旗艦グルデンシュポレンスラフ(金拍車の戦い)を第2次スヘルテ・デルタの戦いで撃沈。12年前の艦隊肥前の雪辱を晴らした。ちなみに旗艦名の金拍車の戦いは、フランス軍によるフランドル併合に対抗してフランドル連合軍が立ち上がってこれを破り、フランドルの独立を守った歴史的な戦い。
第3次索丁戦争でザクセン領ネーデルラントは3州に拡大し、ゴッドランド公国を滅ぼし、ユトランド半島全域を併合した。
1310年、ユトレヒト司教の再びの参戦要請に応じフリースラント伯領に宣戦布告。フリースラント伯領はウェセックス王系のイングランド王国と同盟を結んでおり、初のイングランド戦でもある。ザクセン人VSザクセン人。
イングランドから2州を割譲し、ザクセン領イングランド建設。ザクセン・コンクエストはここから始まる。
1316年、リッペ辺境伯領、コルヴァイ司教領、マインツ大司教領と戦争。
戦後、ザクセン領ネーデルラントは更に拡大。これはユトレヒト司教領の拡大への牽制でもある。
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