EU4戦記 ザクセン編⑫ 吉野ヶ里沈没
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第11代ザクセン王フランツ・クサヴァー1世の時代。
1375年、イングランド戦争開始。同年、フランツ・クサヴァー1世死去。フランツ・クサヴァー2世が第12代ザクセン王に即位。
1382年、第16代神聖ローマ皇帝フェルディナント3世死去。マイセン公のバルタサル2世が第17代神聖ローマ皇帝に即位。
1385年、第一次アイルランド戦争。アイルランド統一戦争がここに始まる。
1390年、ポロツク・ルーシ国に宣戦布告。キエフ大公位は今やポロツク公により独占されており、キエフの総主権は失われていた。
この戦いを発端としてルーシ諸侯への戦争が始まっていく。ビザンツ帝国は正教会保護のために出兵する余力もなくなっており、後ろ盾を失ったルーシ諸侯は衰退していくのだった。
1399年、フランツ・クサヴァー2世死去。フリードリヒ・アウグスト2世が第13代ザクセン王に即位。
1401年
フリードリヒ・アウグスト2世は子供に恵まれず、ザクセン宮廷は揺れていた。早く後継者を指名しないと他国から王位継承を宣言され同君下位国にされかねない。迷った挙句婚姻を結んでいたオーストリア大公家のフォルムバッハ家から後継者を指名した。こうしてヘルマン・ビルングによるザクセン辺境伯創設時代から続くザクセン系ビルング家は断絶。マイセン、ポーランド系ビルング家との統合は儚くも散った。。。
1403年、デンマーク戦争
1406年、第17代神聖ローマ皇帝バルタサル2世死去。マイセン公のヴィルヘルム4世が第18代神聖ローマ皇帝に即位。しかし2年後ヴィルヘルム4世が急死し、次はゲッティンゲン公のカール4世が第19代神聖ローマ皇帝に即位。
1410年、バニラの開始時代である大航海時代開始。
1416年、キエフ公国との戦争で得た領土によりビザンツ帝国と国境を隔てることになる。大戦の足音が近づいてきた。
1417年、マイセンに呼ばれイタリアのアクイレイア総司教国に宣戦布告。吉野ヶ里艦隊をジブラルタル海峡経由で地中海に派遣するも、長い航海で疲弊したところをアクイレイア艦隊に奇襲されアドリア海海戦で敗北。イタリア沿岸部の港湾都市に接岸も拒否され、ボロボロになりながらザクセン領ネーデルラントに帰る途中旗艦吉野ヶ里(1301~1417)沈没。地中海の藻屑となった。
フリードリヒ・アウグスト2世は新たな艦隊の建設を命じる。
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