EU4戦記 ザクセン編⑮ 第1回十字軍
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摂政評議会中
1510年、マイセン公のエルンスト2世が第23代神聖ローマ皇帝に即位。久々のビルング家出身の皇帝である。
1514年、ヨアヒム1世が第15代ザクセン王に即位。同年、ザクセン領バルカン拡大のためクロアチア公国に宣戦。
クロアチア公国は一度ハンガリー王国によって滅ぼされたが、ビザンツ帝国の侵攻を受け弱体化したハンガリー王国から再び独立し、バルカン半島で1大勢力を築いていた。
1521年、ポロツク戦争。
1526年、アクイレイア戦争。ザクセン領イタリアとザクセン領バルカンの連結を目指した。途中でケンプテン司教領を属国化。
この戦争後しばらく包囲網が敷かれ、他国への戦争はできない状態が続いた。
1530年、マイセン公のエルンスト3世が第24代神聖ローマ皇帝に即位。
1542年 第2次ビザンツ戦争
この戦争の前段階としてかつてハンガリー王国の同君下位国であったシチリア帝国と婚姻同盟を結んだ。ビザンツ帝国はアフリカのイスラム諸公を引き連れての参戦。教皇から十字軍も発令され、イスラムの脅威のないこの世界ではギリシア正教が十字軍の標的であった。
翌年コンスタンティノープル陥落。実に465日という長い闘いであった。
沿岸部をごっそり割譲。ビザンツ海軍は未だ強大でザクセン海軍では歯が立たないため、いち早く港を全部併合したいところ。
1545年、属国ケンプテン司教領の再征服目当てでブレゲンツ公国に宣戦布告。マインツ大司教やホーエンツォレルン公も敵側で参戦するなど、予想に反して大戦争となった。
1547年、マイセン公ゲオルグ3世が第25代神聖ローマ皇帝に即位。マイセン公、早世が多い。
1548年の勢力図
黄緑、緑がザクセン直轄領、エメラルドが属国。青が同盟国。きったねえ国境線だな
1552年、ケンプテン司教領を併合。ザクセン領南シュヴァーベン建設。
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