EU4戦記 ザクセン編⑰ 第2次大同盟戦争
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第16代ザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世の時代
1579年、第4次ビザンツ戦争。バルカン半島を縦断する領土割譲によりザクセン領バルカンとの連結を叶える。
この戦争後国内の不穏度が再びマックスになり、各地で独立運動や改革への反乱が後を絶たなくなる。特にリヴォニア地域でルーシ民族の動きが活発化し、何度もPCの画面を叩き割ることになった。
1586年、フリードリヒ・アウグスト3世が死去。神童エルンストが第17代ザクセン王二即位。同時にブランデンブルク=シュテンダル辺境伯領も引き継ぐ形で併合した。
同年、リッペ候に宣戦。敵にマインツ大司教をはじめとした多くの帝国諸侯。この選択がのちの悲劇を呼び起こす。
1591年、アイルランド戦争。
1592年、エルンスト1世は新たな旗艦建造を命じる。110年前に沈没した4代目旗艦佐賀に続く5代目旗艦の名前は「久留米」
1594年、マイセン公のヴィルヘルム5世が第26代神聖ローマ皇帝に即位。
1598年
裏で組まれていた対索大同盟は、キエフ公国を代表としてザクセン王国に宣戦布告。大同盟戦争が勃発する。
味方総勢100万
ザクセン王国、スコットランド王国、ブランデンブルク公国、マイセン公国、ポーランド帝国、トランシルヴァニア辺境伯領、サルデーニャ王国、シチリア帝国、メッツ司教領、バレンシア=スルタン朝
敵総数115万 上記以外の帝国諸侯やビザンツ帝国、クロアチア公国など62か国
緑、黄緑、青が味方。赤が敵。
1074年にオルデンブルク公国に仕掛けられた懲罰戦争が頭をよぎる。だが今回はその当時とは数が違いすぎる。
絶望的な状況下だが、味方軍は孤立した敵軍の各個撃破を狙い戦勝点をキープした。大国フランスが参戦していないことが唯一の救いだったが、次第にこちらの人的資源も尽き始める。
翌年、黄金時代を開始。軍量差を圧倒的な軍質で迎え撃つ。途中でバレンシア=スルタン朝やメッツ司教領が脱落し始め、兵力差は歴然となっていった。
1601年。開始から3年。この間味方は敵に戦勝点5点も与えず粘り強く戦っていた。次第に敵側も人的資源が尽き始め厭戦感情が高まる。ここでエルンスト1世はキエフ公国の旧領3州の引き渡しを条件に和平を締結。3年間にわたり続き両軍合わせて300万人以上の死傷者を出したヨーロッパ大戦は幕を下ろす。
戦争には負けたものの、味方10か国で圧倒的な数の敵と渡り合えたのはエルンスト1世の自信にもつながり、周辺諸国もザクセンの国力を改めて知ることとなった。戦争勃発時に同盟を切らず共に戦ってくれた味方同盟国への信頼度は個人的に爆上がり。今まで勝てなそうだったら参戦拒否してごめんね!
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