ヴァイマール帝国建国記① ヴァイマール家の分裂
CK2が無料ということで初めてプレイしました。今回は後日録になります。
歴史をストーリーとして見ることが好きな私にとってCK2はEU4より魅力的かもしれない。
選んだのはヴァイマール家。ヴァイマール共和国という超民主制国家が過去に存在しましたが、超王権強化したヴァイマール帝国を建国していきたいと思います。
↑スタートは僅か2領。まだまだ小さい
936年、ゲームスタート。初代はチューリンゲン公ヴィルヘルム・フォン・ヴァイマール。ち・な・み・に私はここの時代(東フランク→神聖ローマ)が大大大好きなのでずっとここら辺をやっていきたかった。
ヴィルヘルムはドイツ王であるオットー1世の家臣であり、ヴァイマール伯領とチューリンゲン伯領を合わせたチューリンゲン公領を与えられていた。オットー1世は近隣のイタリア王ユゲスやフランク王ルイ4世、アルル王ルドルフ2世と争い領土拡大に燃えていた。王権は弱く、ドイツ王国内諸侯同士で外交権が与えられており、ヴィルヘルムはヘルマン・ビルング(初代ザクセン辺境伯、実在)やゲロ1世(ゲロ辺境伯、実在)といった超有力重臣と結びながらドイツ国内での影響力を増やしていった。
945年、フランス南部アキテーヌ王国がウマイヤ朝によって滅ぼされると、教皇レオ7世によって初の十字軍が召集された。947年にアキテーヌ王国は再びカトリック王国として復興を遂げる。
955年、フランコニア公リウポルトからフリッツラー伯領を獲得。
961年、西フリースラント公継承者であるズテ・フォン・ヘーウルフィンフと結婚。
966年、フランコニア公ランベルトからマークブルク伯領を獲得し新たにヘッセ公を名乗った。この過剰な拡大により「残酷公」と呼ばれるに至った。
978年、オットー1世死去。史実のように神聖ローマ帝国建国は成らなかった。新たに息子リウドルフ1世がドイツ国王に選出される(選挙王制)。
979年、シチリアがファーティマ朝により奪われ、教皇マルティヌス2世は第2回十字軍を提唱。
981年、十字軍遠征の傍ヴィルヘルムは幼くして跡を継いだミュンスター大司教ユッタ・フォン・ブルノンを追い出し自らがミュンスター大司教位獲得。これでチューリンゲン、ヘッセ、ミュンスター3つの公爵位を持ち、ドイツ内でも危険視されるようになる。
982年、第2回十字軍成功。
984年、ヴィルヘルム死去。ヴィルヘルムには13人の子供がおり、公爵号はそれぞれの息子によって強制的に分割させられた。そのためヴァイマール家2代目当主のエーリヒはチューリンゲン公のみしか継承できず、領土は大幅に削られた。これも国内における君主権力が弱いのが問題であった。
998年、ドイツ王リウドルフ1世死去。弟テオードリヒがドイツ王に選出される。
1004年、ホルシュタイン公家のヘイルヴィヒと結婚。
1008年、2代目エーリヒ死亡。エーリヒの時代、分割された兄弟間で反目しあった結果勢力を伸ばすことができなかった。そんな中エーリヒの弟であるヘッセ公マグヌスの死後跡を継いだアンドレアス1世は、祖母であるズテの血筋を利用してフリジアで次第に覇権を確立し、アンドレアス1世としてフリジア王に即位する。
エーリヒの跡はランドルフが継ぎ、ここから骨肉の争いが展開されることとなる。