都紀女加王墓前バス停で待つ。

長崎生まれ佐賀育ち 中高福岡大阪在住 完全趣味の自己満足ブログ。 @tsukimecha

ヴァイマール帝国建国記② チューリンギア王国の成立

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第3代チューリンゲン公ランドルフは従兄弟にあたるアンドレアスと戦争を繰り返し、次第に旧領を回復していった。

 

1016年、教皇ウルバヌス2世によってイフシード朝に対して第3回十字軍が結成される。

 

1026年、アンドレアスの跡を継いだフリジア王マグヌスよりヘッセ公領を獲得。

 

さらに1041年にはマグヌスの跡を継いだ弟のフリジア王ティトマールとも戦争。チューリンゲン・ヴァイマール家とフリジア・ヴァイマール家の仲は最悪となる。

 

1047年、ドイツ王フンベルトが死去。選挙により次の王はランドルフの甥にあたる下ロートリンゲン公ゲプハルトがドイツ王に即位(ドイツ・ヴァイマール朝初代)。

 

1052年、ランドルフ死去。息子ギーゼルベルトが跡を継ぐ。

 

1059年、教皇ニコラウスによって提唱された第4回十字軍によりイェルサレム王国が建国される。

 

新たにフランコニア公領を創設。

 

1066年、ギーゼルベルト戦死。15歳のボヌシュローが跡を継ぐが、翌年それを快く思わない兄のジークムントがボヌシュローを暗殺。自らがチューリンゲン公を名乗る。

 

第6代チューリンゲン公ジークムントはヴァイマール朝のドイツ王ルドルフ2世によってドイツ王国宰相に任命される。ルドルフ2世はヴァイマール家の親戚をドイツ王国内の重役につけたため、他の諸侯から反発を受け度々反乱が起こるようになる。

 

ジークムントは特にボヘミア地域への拡張に努めた。ボヘミアドイツ王国に組み込まれておらず、ジークムントによるボヘミア征服はチューリンゲン公領の拡大、更にはドイツ王国拡大に繋がったわけだ。これに対して胃を唱えるドイツ王国諸侯はいなかった。

 

1090年、ヴァイマール家のドイツ王ルドルフ2世が死去。息子ギュンター1世が跡を継ぐ。彼はヌーシャテル朝を名乗り、ヴァイマール家から独立してドイツ王位を世襲していく。

 

1100年、ドイツ王ギュンターが戦死すると、彼の息子クノー2世がドイツ王に即位。11歳のクノー2世は摂政であるザクセン公リウドルフ3世の薦めでジークムントを宰相から外してしまう。リウドルフ3世はジークムントの力を削ごうとしていたのである。

 

1110年、リウドルフ3世がクノー2世を唆しジークムント討伐の用意をしていることを知り、先手を打ってジークムントはチューリンギア王国の建国を宣言。 同時にドイツ王国による支配から独立した。

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同年クノー2世がジークムントに宣戦布告。ジークムントはこれに備えて娘のクニグンデをイタリア王アイメリク1世の息子ユクに嫁がせており、イタリアからの援軍を待ってアシャッフェンベルクの戦いでドイツ軍主力を破る。

 

1112年、戦争は優位に進んでいたが、突如ジークムントが戦死。息子リウベルトが跡を継ぎ、戦争は継続された。