ヴァイマール帝国建国記④ 帝国黎明期
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ヴァイマール家簡易家系図
数字は称号の通し番号です
赤がヴァイマール家当主家系
1193年、第9代バルドマールは教皇インノケンティウス3世による第7回十字軍に参加。親戚であるヌーシャテル朝リトアニア王国に対する十字軍であったが、ここでバルドマールは他の諸侯を寄せ付けない活躍を見せる。これにより大きな名声を得ることとなり、「聖王」の称号を与えられる。
1201年、ドイツ王ヴァルター不屈王よりケルン公爵領を獲得。ドイツ王は未だジークハーディンガー朝が続いていた。
バルドマールはアフリカ王女ベオルンヴリャドと結婚し、この継承権を行使してアフリカ王国に宣戦布告。義理の甥にあたるアフリカ王レオヴウィネ2世を下し、1219年にはアフリカ王にも即位する。
1226年、バルドマールはチューリンギア王国をチューリンギア帝国に格上げ。ここにヴァイマール家による帝国が成立した。
1229年、聖帝バルドマール死去。彼の名はヴァイマール家中興の祖として語り継がれることとなる。息子グントラムが10代目として跡を継ぐ。
グントラムはフランス王女デニーズと結婚し、フランス王位継承を伺った。しかしこの先フランス国内はリュジニャン家とトゥールーズ家の間で数十年に渡る内乱が続き、チューリンギア帝国内もまだ安定しないため漬け込む隙が無かった。
1239年、リトアニア王国よりラウジッツ公爵領を獲得。
更にはハンガリー王国ゲルゲリやシチリア女王ケラツァとも争い、バルカン半島の勢力も拡大していく。
直轄地が増えたグントラムは各地に総督を置いて地方を収めさせた。更には長子相続法も認可させ、強力な王権がここに誕生する。
1253年、ポメラニア王領を設置。同年、隣国フランスではトゥールーズ家とリュジニャン家の内乱に乗じてブリタニア王国のサーヌー朝が台頭し、フランスを支配下に置きブリタニア帝国が成立。チューリンギア帝国にとってはかなりの脅威となる。
1259年、教皇ゼルギウス5世によって第8回十字軍が結成される。目的はシリアの奪還。
グントラムはドイツ地方の治安維持に奔走し、地方の勢力拡大は各総督に任せた。その結果力を付けたクロアチア公であるヴァイマール家のレオポルトが1274年にチューリンギア帝国に反旗を翻しクロアチア王国として独立を宣言。
グントラムはアフリカ総督の援軍を呼び6年をかけてこの反乱を鎮圧。クロアチアは再びチューリンギア帝国の支配下に入り、同じくヴァイマール家の親戚にあたるフム公レオポルト2世にクロアチア総督の称号を与えた。
1289年、グントラム死去。息子ランドルフが第11代目として跡を継ぐ。