CK2戦記アイルランド編②十字軍発令
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901年、フランス王国のアキテーヌ王領がウマイヤ朝のスルタンであるイブラヒムによって奪われ、第1回十字軍が始まる。エーレも参戦したが、大陸側の事情は蚊帳の外なので適当に傍観。
916年、ヨーク公領を獲得。同年第1回十字軍は失敗に終わるが、15年の月日の努力はウマイヤ朝とアンダルシア王国内複数諸侯の分離独立という形で一応の成果を得た。
917年、エーレ王国は部族制を廃止し封建制を受容。国家としての歴史を歩み始める。
929年、長子単独相続法を国内で認可。このおかげで時のエーレ王コンガル2世は長女クマンを後継者とすることに成功した。コンガル2世は広範囲の領土拡張に成功した名君だったが、男子に恵まれず相続が課題となっていたのだ。
954年、フランス王国のパリがデンマーク王国によって陥落し、第2回十字軍が結成される。デンマーク王国は未だ部族制であり、スラブ原始宗教を信仰していた。
956年、第2回十字軍成功。今回はエーレもブリテン島のデンマーク領土に侵攻し戦功を挙げた。これによって潤沢な資金を教皇から得ることができた。
翌957年、この資金源をもとに4500人の傭兵を雇い、クマンの封臣4000の軍と合わせて混乱冷めやまぬデンマーク領エセックスに侵攻。
これに勝利してエセックス公領を獲得。このほかコーンウォール公国をも併合し、ブリテン島における勢力均衡はエーレに傾いていった。
961年、スコットランド王国からアルバ公領を獲得。
さらに972年、モレー公領をも獲得
977年、スコットランド王国エマーンからアルバ王位を簒奪。
980年、グウィネズ継承戦争。エーレ女王クマンの代で当時のグウィネズ女王キュネズリュスの子供達全員と婚姻を結んだおかげで、その中のだれが継承してもエオーガナフド・ロハ・レーン家の血が継がれるよう種付けしていたのが実を結んだ。
981年、グウィネズ公国を継承し、ウラタン・ウァグ王国(ウェールズ王国)を創設。これによってエーレ王キリェーネはアルバ王、ウラタン・ウァグ王をも兼ねるようになる。
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