都紀女加王墓前バス停で待つ。

長崎生まれ佐賀育ち 中高福岡大阪在住 完全趣味の自己満足ブログ。 @tsukimecha

我が家

 

今回は我が家の年長者だった親戚の法事で聞いた私の家系、「牟田家」の話。完全備忘録。

 

もともと私の家系が佐賀藩の武士の末裔である話は聞いていた。牟田氏族は藤原道隆から分かれた藤原氏の一族で、福岡県三潴郡にルーツを持つ。

 

今回聞いたのはひいおじいさんの話。私が生まれた時にはすでに亡く、会ったことはない。

 

私の実家がある吉野ヶ里町にはかつて目達原飛行場(めたばるひこうじょう)があった。今も跡地として石碑が残るこの飛行場は、特攻隊が飛び立つ基地であったのだ。

そして、特攻隊員はこの周辺で出発の時を待ったというが、この時特攻隊員の世話をしていたのが私のひいおじいさんだった。

当時の牟田家は大地主で、たくさん土地を所有しており特攻隊員もそこに寝泊まりしていた。私の実家もその土地の中に建てられている。

宿やご飯を提供してもらった特攻隊員は出撃の際、目達原飛行場を飛び立った後に私の実家の上空を3周して目的地に向かっていったという。

 

私の本家(私自身は祖父が6男のため分家になる)の倉庫からは出撃前に残していった特攻隊員からの感謝の手紙がたくさん出てきた。戦後、その家族の元に手紙は返された。

そして、手紙を出して出撃していった特攻隊員の中に唯一生き残った隊員がいたらしく、その人は戦後東京から直接感謝を述べに会いに来たという。