CK2戦記アイルランド編⑤フランク帝位復活
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ビザンツ帝国を獲得し大量の家臣を得た。だが、そのほとんどが正教徒であり多くはアルバ帝国による統治に不満を持っていた。ビザンツ帝国の継承法はアルバ帝国とは違い選挙制であり、ビザンツ帝国の総督達はドゥーカス朝の末裔を次の候補に挙げた。これに対抗してエオーガナフド・ロハ・レーン朝での継承を成功させるべくビザンツ皇帝位を廃止し、新たにラテン皇帝として再編。これによりビザンツ帝国の継承法は通用しなくなり、アルバ帝国と同じ長子単独相続制に統一された。
ビザンツ帝国の旧臣達との宥和を図りながら旧臣の請求権を利用して領土拡大に努める。
1118年、アキテーヌ王位を獲得。アキテーヌ王国は幾度となく十字軍遠征の対象地となっており、988年の第3回十字軍でバダホス朝を追い出して建国されたものである。
1126年、ブルグント王国からオーヴェルニュ公爵領を獲得。
1130年、セルビア王位を簒奪。セルビア王国はクロアチア王も兼ねていたので、同時にクロアチア王位も得た。
1138年、デンマーク王国を併合。
1142年、パンノニア王国を併合。当時の勢力図
ササナ総督の活躍でブリテン島は統一された。さらにエジプト総督はエチオピア方面まで勢力を拡大。デンマーク総督はアルバ総督と協力してスカンジナビア半島統一に乗り出した。東では遊牧民国家トゥランが急速に勢力を拡大。ルーシ諸国が緩衝国となっている。
1159年、アウストラシア王国を併合
1162年、カルパチア皇帝に即位。
1166年、ロンバルディア継承戦争勃発。
資金が尽きたため傭兵は雇えず、配下の封臣を動員しての戦争。皇帝直属軍に加えてフランス総督、アキテーヌ総督、シチリア総督の軍勢で一気に包囲。
翌年、ロンバルディア王位を簒奪。ここからイタリア王という称号に変更される。
1179年、ブルグント王国を併合。
同年にポントス皇帝に即位し、さらにかつて1人だけに存在した伝説の称号であるフランク皇帝の称号を復活させた。
その一人は751年に即位したピピン3世(小ピピン)。「ピピンの寄進」でも知られる人物。実に400年以上ぶりの戴冠となった。
鉄槌王ブラスマクの称号
「ブラスマク、神の恩寵によるローマ皇帝、崇高なる尊厳者、アルバ皇帝、ラテン皇帝、カルパチア皇帝、ポントス皇帝、フランク皇帝、エーレ王、アルバ王、ウラタン・ウァグ王、ササナ王、フランス王、ウリターン王、バイエルン王、エジプト王、アラニア王、トレビゾンド王、エピロス王、クリミア王、トラキア王、ギリシア王、シチリア王、カザリア王、アナトリア王、ブルガリア王、クロアチア王、セルビア王、アキテーヌ王、パンノニア王、デンマーク王、ポメラニア王、チューリンギア王、フリジア王、アウストラシア王、イタリア王、エルサレム王、フランコニア王、ブルグント王、フランク王、アンジュー公、ブロワ公、パリ伯。」
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