都紀女加王墓前バス停で待つ。

長崎生まれ佐賀育ち 中高福岡大阪在住 完全趣味の自己満足ブログ。 @tsukimecha

君たちは日本神話とどう生きるか

 

君たちはどう生きるか」見てきました。千と千尋に近いかな?という印象。今回も宮﨑駿作品ならではの日本神話メタファーが至る所にあったので、いくつか紹介。あくまで個人的な見解です。

 

■母方家系

大叔父様→綿津見大神(海神)

ヒミ(マヒトの母)→豊玉姫、綿津見大神の娘

ナツコ(ヒミの妹)→玉依姫豊玉姫の妹

マヒト→鸕鷀草葺不合尊(豊玉姫の娘、玉依姫の妻、初代神武天皇の父)

 

産屋を除くのはタブーとされた。神武天皇の祖父にあたる火遠理命は妻(豊玉姫)の出産の際に「産屋を覗くな」と言ったのにも関わらず覗き見。すると豊玉姫はワニの姿になって出産していた。

 

それを恥じた豊玉姫は出産後綿津見のいる海へと帰る(マヒト母の死)。しかしその後妹である玉依姫を遣わし、子である鸕鷀草葺不合尊を養わせた(父のナツコとの再婚)。古事記では後に鸕鷀草葺不合尊と玉依姫は結婚し、2柱の子が初代神武天皇となる。

 

■青鷺に誘われマヒトとキリコが沈んだ世界

→根堅国

葦原中国(地上)の下にあると言われている世界。黄泉国ほど下には無く、その間で葦原中国を支えているとされる。古事記では大己貴神(後の大国主神)が須佐之男命を訪れる際に出てくる。「死者と生者が混在している」的なキリコのセリフや、海の中に木の根っこの描写がかなり多かったことからそうなのかなぁと。

 

その他にも世界の境界線→黄泉比良坂、青鷺と矢→天若日子と天羽々矢、インコ→黄泉軍とか。別の物語のメタファーとかもあった気がする。またゆっくり見返したいね。

 

 

 

 

love of my car

あけましておめでとうございます。

2022年初投稿です。

 

 

はい。

 

 

話は遡りますが、実は私大学卒業間近の2020年12月に免許取って以来、急な車熱に侵されました。

 

んで就職して1年働き、今年の5月にこいつを手に入れたわけです。

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カルロスゴーンが産んだ伝説、亡命の汚名を返上するには十分過ぎる産物、日産のフラグシップカー「Fairlady Z33」

 

なぜこの車か?ーただただ、「カッコ良い」から。

フロントは言うまでもない。存在感のある大きなグリル、大きなライト。それらが調和して、ナンバープレートが似合う造形を創り出す。ナンバープレート付きで完成したご尊顔が誠眩しゅうございます。実際は20年落ちのハロゲンライトなので眩しいどころか夜はかなり見にくい。

 

んでもって実はフロントより迫力あるのがリア。

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美しすぎて言葉では表せません。リアウィングもお気に入りポイント。中古で買った時に既についてたので、今までの先人オーナー達のどこかの代で付いたのでしょう。この車、リアウィング無いとちょっともの寂しい。そこでこの派手すぎないウィングが完璧にマッチしてる。実はこの形、当時の純正…に見せかけたパチモン。純正は形は同じで中央にテールランプが光る。

 

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んで側面も良いんだなぁこれが。18インチのホイールがずっしりと構える。ボンネットからテールにかけての流線型の美しさ。リアタイヤの位置、もはやフロントミッドシップ。あとこれは次世代のz34との差別点なんですが、z33の方がホイールベースが100ミリ長い。前後にゆったりした印象を与えるのはz33の魅力。

 

 

以上から分かるように私が車を選ぶ理由は完全に面食い。なので快適さとか乗り心地とか要らない。なんなら別に早くなくても良い。でも残念、こいつめちゃ速い。3500cc v6エンジンをフロントに積み後輪駆動のFR。294馬力の貴婦人は動き出すと僅か6秒もせず時速100kmに到達。公道しか走らないのでこのポテンシャルを引き出すことはないですが、これだけのモンスターに乗ってると余裕ができて逆に飛ばさなくなるんですよね。

 

これ以上語り出したら止まらないのでこの辺で。私はこの後も車検代+部品交換代26万を稼ぐべく資料作成に勤しみます。

 

 

英彦山神宮 備忘録

 

英彦山神宮に行きました。

 

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御朱印もらうついでに宮司さんと色々お話ししまして。私が日本神話や天皇家に精通してることを知った途端に目の色を変えてあれやこれや教えてくれました。忘れる前にいくつかここに残しておこう。

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前提情報はネットに転がってるので省きます(ここが修験道の場でもあり神仏習合の象徴であったことなど)。


嵯峨天皇の命で九州中の檀家がここに纏められた。42万軒の檀家があった。

42万軒は多すぎる。今だと寺一つにつき檀家数が千でも多い方なのに、しかも昔はそんなに人口もいない。いかに仏教の世界においても重要な場所だったかが分かる。


雪舟が作った庭園があった。

 

1616年小倉藩細川忠興が再建。

この再建の際、本殿の向きを3℃だけ変えた跡があるという。そして、それはガラシャの命日になると本殿の真上に星が十字に現れる角度。キリスト教信者の亡き奥さんを偲んで、禁教下でも天に十字架を供えた粋なはからいだなぁと。もちろん、偶然か必然かは本人のみぞ知る。


・細川家が移動して熊本藩主になった後も定期的にここに奉納しに来ていた。

 

英彦山神宮(アメノオシホミミ)、霧島神宮(ニニギ)、鹿児島神宮(ホオリ)、鵜戸神宮(ウガヤフキアエズ)、宮崎神宮(カムヤマトイワレヒコ=神武天皇)の繋がり

天照大御神から神武天皇までの上の5代を祀る神社どうしは今でも交流がある。そして、宮中での上奏の際は家系の順に連名していくとのこと。つまり、天照大御神の子どもであるアメノオシホミミを祀るここ英彦山神宮が一番上にくるわけだ。

 

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社家が高千穂家っていうのもオシャレ。高千穂氏はウガヤフキアエズの子孫豊後大神氏出身だけどこことも繋がりがあるのかな?

 

EU4戦記 しりとりで負けない国編③終幕

前回→

tsuki-mecha.hatenablog.com

 

アオテアロアによる拡張は周辺国を刺激していた。それに対抗した東南アジアのアユタヤ朝インドシナに植民を行っていたカスティーリャ王国が連合を組みアオテアロアを牽制。1683年、懲罰戦争が開始される。

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EU4戦記ンガティ

アオテアロアはかねてからの盟友であるマラッカ王国と協同でアユタヤ朝を攻撃。ヨーロッパでは同盟国フランスがカスティーリャ王国に対して優勢に戦争を展開。だが、長年の戦いの中で共に疲弊していき、結果としては両者白紙和平という形で幕を閉じた。

 

1693年、アオテアロアは今回の目標であるイングランド王国征服に乗り出す。本土ニュージーランドで編成された征英軍はラパヌイ島、フォークランド諸島、象牙海岸を経由して同盟国フランスのノルマンディーに上陸。マオリ人、初のヨーロッパ上陸。そしてイングランドトスカーナの連合軍に宣戦布告。ヨーロッパ本土にあるトスカーナを速攻で降伏させ、フランスと共にドーバー海峡を越えようと試みるもさすがイングランド海軍は協力でなかなかうまくいかない。しかし、同時点でアイルランド王国イングランドに宣戦布告。イングランド海軍はアイリッシュ海峡にも戦力を割かねばならなくなり、隙をついてブリテン島上陸に成功。瞬く間に制圧していく。

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EU4戦記ンガティ

イングランドの南沿岸部を割譲させ戦争終結。ヨーロッパに領土を確保。

 

1700年には列強1位になる。

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EU4戦記ンガティ

1711年の第2次イングランド戦争で首都ロンドンを獲得。

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EU4戦記ンガティ

この後世界は大きく動いていく。カスティーリャ王国は先の戦争も合わせて弱体化し、植民地を維持するのが難しくなった。その結果カナダ、キューバ、コロンビアが独立。更には1740年、フランスで革命が勃発。王政は倒れ革命政府が樹立し、アオテアロアとの同盟が破棄された。この革命の中でフランス領ルイジアナアメリカ合衆国として独立。

 

フランスという強大な後ろ盾を失ったアオテアロアは周辺国からの懲罰戦争に対処しきれなくなる。

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EU4戦記ンガティ

1748年、アオテアロアの最盛期

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EU4戦記ンガティ

 

さ る ぼ ぼ

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まだ私が社会の汚さも知らない純粋な幼稚園児だったころ。

 

 

親戚からお土産で「さるぼぼ」を貰った。顔が赤くてちょっと不気味な人形。なんでも、「願い事を一つ叶えてくれる」というものらしい。

 

貰ったところでどうしようも無いので、しばらくは我が家の玄関先に飾られていた。でもすぐにそれも邪魔になって、気付いたら部屋の奥の棚の上に置かれるようになった。

 

とある日、私は幼稚園で友達の〇〇君と喧嘩した。理由は覚えてないけどかなり怒っていた。その日はそのまま仲直りできずに帰って、ふとあの「さるぼぼ」を思い出した。

「〇〇君が風邪になりますように」

その時の私にとっては最大限の報復だったのだろうか。そうお願いした。どうせ何も起こらないと思って。

 

次の日、私も〇〇君も普通に幼稚園に来た。お互い1日経てば昨日の些細なことなんて忘れるもので、すぐに仲直りした。

 

だが昼ご飯前に〇〇君は急に具合が悪くなった。先生が熱を測り、親に連絡し、昼前に帰ることになってしまった。

 

この時私の中には様々な感情が渦巻いた。恐怖、罪悪感、後悔、反省。親に連れられて帰る〇〇君に「早く良くなると良いね」と声をかけながらそれをしている自分が恐ろしく憎らしく見えた。いやまさか、自分のせいじゃない。そう信じたかった。

 

家に帰ると部屋の奥にあの「さるぼぼ」は変わらずいた。表情ひとつ変えぬ(表情も何も顔がないが)佇まいにまた恐怖を覚えた。

「あんな酷いことをして、なぜ変わらずそこにいられるのか」

「…でもこれを願ったのは自分じゃないか」

訳もわからずその「さるぼぼ」を投げ捨てた。もう忘れようと思った。

 

それから約20年、今でも忘れられずにふとした時にこの話を思い出す。誰にも話したことがない、人生で1番の恐怖談。

3年2ヶ月の過酷な一人旅

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歌詞紹介。今回はユニコーンの「大迷惑」。

 

まずは普通に歌詞

 

【町のはずれで シュヴィドゥヴァー
さりげなく 夢にまで見たマイホーム 青い空
エプロン姿のおねだりワイフ
日なたぼっこはバルコニー
Hey it's a beautiful day
突然 忍び寄る 怪しい係長
悪魔のプレゼント 無理矢理
3年2ヶ月の過酷な一人旅
この悲しみをどうすりゃいいの
誰が僕を救ってくれるの
僕がロミオ 君がジュリエット
こいつは正に大迷惑
君をこの手で抱きしめたいの
君の寝顔をみつめてたいの
町の灯潤んで揺れる 涙涙の物語

枕が変わっても
やっぱり するこた同じ
ボインの誘惑に 出来心
3年2ヶ月のいわゆる一人旅
この悲しみどうすりゃいいの
誰が僕を救ってくれるの
僕がカンイチ 君はオミヤ
正にこの世の大迷惑
君をこの手で抱きしめたいの
君の寝顔を見つめてたいの
町の灯潤んで揺れる 涙涙の物語か
この悲しみをどうすりゃいいの
誰が僕を救ってくれるの
君がカンイチ 僕はジュリェット
この世は正に 大迷惑
逆らうと首になる
マイホーム ボツになる
帰りたい 帰れない

二度と出られぬ蟻地獄
君をこの手で抱きしめたいよ
君の寝顔を見つめてたいよ
君の作った料理食べたいよ
西も東も大迷惑
帰りたい 帰りたい 君は誰 僕はどこ
あれは何 何はアレ
お金なんかはちょっとでいいのだ】

 

 

分かりやすいので一回だけでどんな歌かは分かるかもしれません。そう、「転勤が嫌な会社員の歌」です。

 

「町のはずれで シュヴィドゥヴァーさりげなく 夢にまで見たマイホーム 青い空エプロン姿のおねだりワイフ日なたぼっこはバルコニーHey it's a beautiful day」

奥さんと一緒に過ごす毎日。いっぱい働いて夢のマイホームもついに建てれそう。幸せな日常。

 

「突然 忍び寄る 怪しい係長 悪魔のプレゼント 無理矢理3年2ヶ月の過酷な一人旅」

忍び寄る係長からのプレゼント、3年2ヶ月の「転勤」。単身赴任確定。

 

「君をこの手で抱きしめたいの 君の寝顔をみつめてたいの 町の灯潤んで揺れる 涙涙の物語」

寂しさと悲しさで泣く。

 

「逆らうと首になる マイホーム ボツになる 帰りたい 帰れない 二度と出られぬ蟻地獄」

辞令には逆らえない。首になったらローン払えない。奥さんのいる家に帰りたいけど帰れない。

 

「西も東も大迷惑 帰りたい 帰りたい 君は誰 僕はどこ あれは何 何はアレ お金なんかはちょっとでいいのだ」

西への転勤も東への転勤も大迷惑 金なんかちょっとで良いから転勤やめてくれ

 

って感じ。最後「帰りたい」を連呼しながら曲が終わる。

歌の設定ももちろんだけど歌詞のセンスが良い。流石だわ。

 

5月から2人の同期と合わせて3人で福岡県の久留米に来ることになりました。私は中高と久留米に居たので故郷に戻ってきたようなものですが、同期の一人は生まれも育ちも兵庫県姫路市。「何で俺がここやねん」が彼の口癖。神戸には2年付き合った彼女がいるし、常に帰りたがっているけどそれもコロナのせいで叶わない。この曲がぴったりだなと思って彼にも紹介しときました。

EU4戦記 しりとりで負けない国編➁Maori is spoken all over the world.

前回→

tsuki-mecha.hatenablog.com

 

時は経ち1581年。内政に費やした50年分の国力を用い大国越に宣戦布告。数年前まで中華に君臨した大帝国明は諸侯の分裂によって崩壊。越、楚、西、蜀、梁、順、呉などの国が興った。このおかげでアオテアロアは中華進出の機会を得たのである。

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今回越に侵攻した理由は広州獲得のため。アオテアロアはかねてよりポリネシア・トライアングルの交易路を支配していたが、次第に収入が足りなくなっていた。そこで、世界有数の港を持つ広州が今後のためにも必要だったのだ。

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EU4戦記ンガティ

痛手を被りながらも何とか勝利。広州の港を発展させ、収支は大きく改善する。

 

植民は西欧に向けて着々と進んでいた。だが、喜望峰はすでにポルトガル王国に取られており、象牙海岸への植民を最後にアフリカへの進出は止まる。今後は新大陸へ舵を切るが、陸地が見えた時そこはすでにカスティーリャ王国の植民地であった。

 

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EU4戦記ンガティ

1604年、黄金海岸で運命の出会いを果たした超大国フランス王国と同盟をすることに成功。10年にも渡り関係改善を行った努力が実を結ぶ。

 

この同盟を背景に遂に西欧諸国との戦争も始めていく。1609年にはカスティーリャ領ラプラタ植民地に侵攻。西欧の国でこれをすると確実に敵に宗主国も参戦するんですが、そうじゃないと参戦してこないんですね。マジでやりやすい。

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EU4戦記ンガティ

列強が何十年もかけて作った植民地を戦争でサクッと持っていくの気持ち良い。

 

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EU4戦記ンガティ

1613年には列強入り。ニュージーランドの先住民がここまできたぜ。

 

1628年にはカスティーリャ領ペルーにも侵攻。これでもカスティーリャから宣戦布告されないのは国境が離れすぎている(アオテアロアの首都は依然ニュージーランドにある)のと、列強3位のフランスがバックについているからだ。また、カスティーリャアラゴンとも仲が悪くスペイン形成に至っていないことも味方した。

 

1661年、カスティーリャやフランドル、フリースラントの植民地を制圧したアオテアロアは列強3位に躍り出る。

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EU4戦記ンガティ

ここでふと気付くだろう。グレートブリテンイングランドも入っていないことに。後にフランスから齎された西欧の勢力図で分かるのだが、ブリテン島ではスコットランド、オーモンド(アイルランドの諸侯)が勢力を広げイングランドは弱体化していたのだ。なんとまあ、叩き甲斐の無い。