EU4戦記 しりとりで負けない国編➁Maori is spoken all over the world.
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時は経ち1581年。内政に費やした50年分の国力を用い大国越に宣戦布告。数年前まで中華に君臨した大帝国明は諸侯の分裂によって崩壊。越、楚、西、蜀、梁、順、呉などの国が興った。このおかげでアオテアロアは中華進出の機会を得たのである。
今回越に侵攻した理由は広州獲得のため。アオテアロアはかねてよりポリネシア・トライアングルの交易路を支配していたが、次第に収入が足りなくなっていた。そこで、世界有数の港を持つ広州が今後のためにも必要だったのだ。
痛手を被りながらも何とか勝利。広州の港を発展させ、収支は大きく改善する。
植民は西欧に向けて着々と進んでいた。だが、喜望峰はすでにポルトガル王国に取られており、象牙海岸への植民を最後にアフリカへの進出は止まる。今後は新大陸へ舵を切るが、陸地が見えた時そこはすでにカスティーリャ王国の植民地であった。
1604年、黄金海岸で運命の出会いを果たした超大国フランス王国と同盟をすることに成功。10年にも渡り関係改善を行った努力が実を結ぶ。
この同盟を背景に遂に西欧諸国との戦争も始めていく。1609年にはカスティーリャ領ラプラタ植民地に侵攻。西欧の国でこれをすると確実に敵に宗主国も参戦するんですが、そうじゃないと参戦してこないんですね。マジでやりやすい。
列強が何十年もかけて作った植民地を戦争でサクッと持っていくの気持ち良い。
1613年には列強入り。ニュージーランドの先住民がここまできたぜ。
1628年にはカスティーリャ領ペルーにも侵攻。これでもカスティーリャから宣戦布告されないのは国境が離れすぎている(アオテアロアの首都は依然ニュージーランドにある)のと、列強3位のフランスがバックについているからだ。また、カスティーリャはアラゴンとも仲が悪くスペイン形成に至っていないことも味方した。
1661年、カスティーリャやフランドル、フリースラントの植民地を制圧したアオテアロアは列強3位に躍り出る。
ここでふと気付くだろう。グレートブリテンもイングランドも入っていないことに。後にフランスから齎された西欧の勢力図で分かるのだが、ブリテン島ではスコットランド、オーモンド(アイルランドの諸侯)が勢力を広げイングランドは弱体化していたのだ。なんとまあ、叩き甲斐の無い。