EU4戦記ノルマン・コンクエスト⑧フランクの復活
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カトリック側で参戦したノルマンディーだったが、宗教戦争のどさくさに紛れてしれっと教皇領からローマを併合。これで全ての条件が揃った。
1624年、ノルマンディー=スウェーデン=ポーランド=ブルガリア連合王国はかつての伝説であるフランク帝国の再興を宣言。このミッションによってシャルルマーニュの支配した、フランスからドイツ、イタリア北部における広大な領域に対して請求権を得ることができる。このままフランク帝国の最大版図実現に向けて侵略を繰り返す。
フランク帝国は列強1位の座にあり、2位のハンガリー帝国とは大きな差がついていた。しかし、ハンガリー帝国はフランク帝国の評判を失墜させながら外交的孤立を狙った。その後長年の同盟国であった列強3位のシチリア帝国はハンガリー帝国側に寝返り、フランク帝国は報復としてハンガリー分割に乗り出す。
1663年、同じくハンガリーを敵対視しているクロアチア王国を誘って第1次ハンガリー分割。ポーランド王領はカルパチア山脈を越えて拡大し、クロアチア王国、ブルガリア王領も領土を得た。しかし今後ハンガリー分割が行われることはなかった。ハンガリーはフランク帝国を徹底的に孤立させるためクロアチア王国も懐柔し、フランク包囲網を形成してたびたび宣戦布告をしてくるようになる。
1703年、スウェーデン王領を統合。大量の海軍を引き継いだ。
1711年、最後の同盟国カスティーリャ王国も同盟を破棄。共にレコンキスタを行った盟友も去っていった。
1719年、黄金時代を開始。
1724年にはイスラム勢力の中で革命が勃発。その波はアナトリアを次第に西へと広がっていった。
1744年、革命の波は20年で終了。あっけない。
1778年、神聖ローマ帝国解体。
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