EU4戦記ノルマン・コンクエスト⑦カトリックの隆盛
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ノルマンディー帝国はとある目標に向かって神聖ローマ帝国諸侯への侵攻を開始。ムーアマルク辺境伯、アイヒスフェルト伯を属国化し神聖ローマ帝国内の主要都市を併合していった。
1487年
イベリア半島最後のイスラム国家であるバダホス王国がカスティーリャ王国によって滅亡。これによりレコンキスタ完了。実際より5年早い。
1493年
王朝図を見るとリャザン公国とブルガリア王国の王朝がロロ朝になっていた。王位請求のチャンスを伺う。
この頃から次第にプロテスタントが広がっていく。発祥地はシュヴァーベン地方のホーエンシュタウフェン。あの神聖ローマ皇帝位を世襲した王朝の発祥地。
1511年にはトリエント公会議が開かれプロテスタント同盟に対抗。
その間もノルマンディー帝国は選帝侯バイエルン公国を属国化するなどして拡張を急いだ。包囲網はガン無視。
1519年の属国一覧。
ノルマンディー帝国はイスラム教徒の多いイベリア半島を抑えており宗教的統一がなかなか成されずにいた。そんな混乱の中1543年オランダが独立。
1560年、ブルガリア継承戦争。5年後パリ条約にてブルガリア王国がノルマンディーの同君下位国になることが認められる。ここにノルマンディー=スウェーデン=ポーランド=ブルガリア連合王国が成立。
さらに1590年にリャザン継承戦争。1593年、リャザンも同君下位国になる。この世界でリャザンはノブゴロドからマップ東端まで続く超広大な国家になっていた。
エメラルドグリーンが同君下位国。神聖ローマ帝国内に領地が増えているのがわかる。
その後1607年より宗教戦争が勃発。あまりの画面処理の重さにスクショを撮ることもできなかった。ノルマンディーはカトリック側で参戦。
1623年、宗教戦争はカトリックの勝利で終了。ベルク公が神聖ローマ皇帝に即位し、カトリックがの帝国唯一の宗教に決定した。
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