都紀女加王墓前バス停で待つ。

長崎生まれ佐賀育ち 中高福岡大阪在住 完全趣味の自己満足ブログ。 @tsukimecha

白起という男

勝手に語るシリーズ第4弾。蕎麦屋。今回は戦国時代の秦の最強将軍、白起。キングダムっていう漫画でも有名になったので今や知ってる人も少なくなさそう。でも確かあの漫画だと回想シーンにしか出てこないよね。

 別名は公孫起。秦の昭襄王に仕え、戦えば勝つことを繰り返したバケモン。当時の戦国時代に残った国は斉、楚、秦、燕、韓、魏、趙の7ヶ国。その中でも秦は商鞅による強国の治が功を奏し抜きん出た国力を持っていた。合従策で対抗した諸国も連衡策によって無力化し、長かった春秋戦国の世(500年以上)も秦の統一まであと一手と行ったところまで来ていた。

 ち・な・み・に商鞅のような人材は他の国にいなかったのかと言われると実は楚にも呉起という人物がいて、商鞅と同じく過激な改革を推し進めていった。その結果呉起を重用していたトウテツ王(漢字忘れた)の死後改革に反発した臣下らによって殺されるところまで商鞅と同じ。ただ、秦は商鞅を殺した後も改革内容は継続させたのに対して、楚は呉起を殺した後改革内容も打ち消して元に戻しちゃった。楚は以前伍子胥の話でも書いたけど、あの200年後くらいに越を滅ぼして強国になる。呉起の改革を続けていたらまた違う歴史になってたかもね。

 話を戻して、秦のあと一手のところに現れたのが白起。秦と隣接する国は楚、韓、魏、趙。この4ヶ国に対して次々に戦争をし、徹底的に叩いていった。楚に対してはエイテイの戦い(漢字忘れた)で首都の郢を落とし、韓に対しては伊闕の戦いで約20万人を斬り、魏に対しては華陽の戦いで約13万人を斬り、とどめに趙に対しては長平の戦いで47万人を生き埋めにした。

その中でも有名なのが長平の戦い。これは秦の侵攻に対して趙は防衛戦だった。秦軍は趙軍より少なかったが連戦連勝を重ね、遂に趙の将軍廉頗(刎頸の交わり)は長平の城に篭ってしまう。この時白起は軍を指揮していなかったんだけど、趙軍が城に篭って戦いが進まないのにイライラした昭襄王に呼ばれて「なんとかして!」って言われた。白起は「廉頗は賢いから無理!」と言った。廉頗といえば趙を代表する将軍であり、当時はもう老将となっていたが実戦経験の豊富な猛将であった。昭襄王は「どうにかならん??」って聞いた。白起は「廉頗を趙括と交代させることができたら勝てる」と言った。

その後趙では「廉頗は老将で戦えない、若い趙括が勝利に導く」みたいな噂が流れる。もちろん白起の策。ちなみに趙括は趙奢っていうこれまた趙の名将の子供で、有望株として育っていた。趙の孝成王はこの噂を信じて趙括を廉頗と交代させた。

趙括は現地に着くや、「こんなに軍勢がいてなぜ攻めないのか」と叱責して秦軍に突撃。この時秦の総大将も白起に変わっていた。兵法通りの動きしかしない趙軍を手玉に取り、糧道を断ち飢えを待った。趙軍は最後の突撃をかけるも壊滅。趙括は戦死し残りの兵は投降した(紙上に兵を談ず)。

このまま進軍を続けようとした秦軍を阻んだのは敵ではなく味方の范雎だった。范雎はこのままでは白起の功績がバケモンになって自分の立場が危ういと感じて、昭襄王に上手いこと言って撤退させた。白起は不貞腐れて戦争の招聘に応じなくなった。昭襄王は白起の態度にイライラして遂には自害を命じる。こうして白起は秦の統一に大きく貢献しながら秦によって殺された。伍子胥といい功労者の最期は哀しいものがあるね。