都紀女加王墓前バス停で待つ。

長崎生まれ佐賀育ち 中高福岡大阪在住 完全趣味の自己満足ブログ。 @tsukimecha

CK2戦記アイルランド編⑦叙任権闘争

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1222年、モンゴル帝国皇帝テムジンはわずかの間にここまで領土を拡張。

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CK2アイルランド編⑦

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CK2アイルランド編⑦

だがテムジンの死後国は息子兄弟によってモンゴル帝国タタール帝国に分裂。お互いに戦争を繰り返し、これ以降西進してくることはなかった。

アルバ皇帝とローマ教皇の間の仲は叙任権闘争も相まって常に悪いままで、前回にもあった通り何度も破門を食らっていた。当初は屈辱を受けながら破門を解いてもらっていたが、次第にローマ教皇の権威無くとも国の封臣を統一できるほどに基盤が整い破門を無視するようになった。ローマ教皇にとってもキリスト教国家最強のアルバ帝国を蔑ろにはできず、十字軍のたびになんとかこちらを懐柔するという有様であった。1279年のアラビア十字軍で両者は決裂し、第10代アルバ皇帝フラスヴィデルダフは十字軍によって得た地域を勝手に己の物とし、配下に分け与えた。

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CK2アイルランド編⑦

ローマ教皇ルキウス4世はこれを非難し、幾度となくサルデーニャ騎士団とチュートン騎士団に呼びかけ小競り合いが勃発した。1300年、フラスヴィデルダフの息子で第11代アルバ皇帝コルマーン2世は教皇領ローマに出兵。ここを占拠し、新たにロマーニャ王国としてアルバ帝国に編入した。

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CK2アイルランド編⑦

その後のイラク十字軍、イエメン十字軍によってアラビア半島からイスラム勢力は次第に駆逐されていった。また、1352年にはイベリア半島からフェッズ朝を追い出しレコンキスタが終了。ヒスパニア皇帝として即位する。

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CK2アイルランド編⑦

1374年、アラビア半島統一に向けインドのデカン帝国と争う。デカン帝国はペルシア湾岸勢力を伸ばしていた。

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CK2アイルランド編⑦

翌年にはパリからエルサレムに遷都し、さらに宮廷の公用語がこれまでのアイルランド語からイタリア語(サルデーニャ文化)に変更される。これは、代々アルバ帝国皇太子はシチリア王位を授かり、サルデーニャ島に居るサルデーニャ騎士団領との戦争を担当していたからである。国名もアイルランド文化のアルバ帝国からブリタニア帝国に変更された。

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CK2アイルランド編⑦

こうしてアイルランドのムウ部族長の名残は王家のエオーガナフド・ロハ・レーン朝のみを残して消えてしまった。