都紀女加王墓前バス停で待つ。

長崎生まれ佐賀育ち 中高福岡大阪在住 完全趣味の自己満足ブログ。 @tsukimecha

神聖ローマ帝国史第4講 諸侯の分割統合

前回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/06/16/134220

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昨日当てました。イナフェノンってもうそんなに強くないのかな

 

神聖ローマ帝国内には数百の諸侯領があった。なぜこんなに分裂したかはいくつか理由がある。

 

①新たに都市を開いていったから

神聖ローマ帝国成立時、未だベルリンも建設されておらず都市も人口も今と比べて少なかった。諸侯は領内人口を増やすために都市を建設し、そこに新たに家来を置く。これが増長して諸侯を凌ぐようになったりもする。

 

②力を持った諸侯の力を削ぐため

広い領土を持つ諸侯はそれだけ力を持ち、皇帝にとっては脅威となる。そういった時は土地を取り上げ、その土地を分割しその中に新たな諸侯を置き対処する。

 

③東方植民の結果

受験世界史にも出てくる東方植民。これで得た新たな土地にレーエンを敷くとなるとそこに新たな諸侯が生まれるわけだ。

 

④相続の問題

諸侯に子供がたくさんいた場合、その死後それぞれに土地を与えて相続する。もとは兄弟間で協力し合っていたのが次第に対立するようになり、新たな諸侯として切り取られることになったりもする。

 

例を一つ挙げる。

私の大好きな諸侯の一人に、ザクセン公バイエルン公ハインリヒ獅子公がいる。彼は東方植民(ヴェンド十字軍)で新たにメクレンブルク公領を設置し(③)、さらに領内にブラウンシュヴァイクを建設しブラウンシュヴァイク公領を設置(①)したがその増長した力を恐れた皇帝フリードリヒ1世バルバロッサによって所領を奪われ分割させられた(②)。

ちなみに、彼が設置したブラウンシュヴァイク公領は後にハノーファー選帝侯領となり、現在のイギリス王家を輩出し、ザクセン公国の旧領をほとんど手にしてドイツ連邦に名を連ねることになる。

 

一方で諸侯がまとまる経緯もある。

 

①戦争

その名の通り戦争で領地を奪い取る方法。でも、これは同じドイツ内ではあまり行われなかった。

 

②同君連合

母の出身国と父の出身国が別々で、母の家系で男子が途絶えるなどした時、子供は父の領地と母の領地を引き継ぎ二つの国家が合同する。この合同はその子供1代限りの時もあればその後ずっと合同される例もあった。

サザエさんを例に挙げる。

磯野家がザクセン公家、フグ田家がバイエルン公家だとする。タラオはフグ田家のバイエルン公を引き継ぎ、ザクセン公はカツオに引き継がれるはずだが、カツオが子供を作らず死んだ場合磯野家は断絶しタラオにザクセン公位も転がってくる。

 

この同君連合が西欧史を複雑に、そして面白くする。先程あげたハノーファー選帝侯とイギリス王も同君連合の一つ。ポーランドリトアニアも同君連合になってたし、デンマークスウェーデンノルウェーも同君連合になった時代もあった。同君連合は戦争をせず一気に国が丸ごと手に入る最強の裏ワザ。これを駆使したのがハプスブルク家というわけだ。