CK2戦記アイルランド編③アッバース朝との戦い
前回→
988年、ブルグント王国支配下のアキテーヌ王国がイスラム勢力バダホス朝によって陥落し第3回十字軍が発令。この戦いは年内に終了し、これで得た多大な賠償金を元手にイングランド統一を進める。
995年、ザクセン部族によって支配されていたウェセックスを解放し、ササナ王国(イングランド王国)を建国。
さらに1006年、アルバ皇帝に即位し、エーレ=アルバ=ウラタン・ウァグ=ササナ連合王国はアルバ帝国(ブリタニア帝国)へと変貌する。
1027年、ランカスター公爵領をめぐりデンマーク王国に宣戦布告。両国共配下の封臣を総動員しての大戦争。
無事に勝利。デンマーク王国には完全に有利が立つ関係性となった。
1027年、アルバ帝国は大陸進出をもくろみブルターニュに侵攻。フランス北部に領土を得たことでフランス統一も同時進行で進めていく。
1038年、サセックスを占領していたザクセン部族を追い出し、ブリテン島からアングロサクソン勢力は駆逐された。
1041年、ノルマンディー公国を獲得。
1048年、アッバース朝のカリフ、ムハンマド3世はアルバ帝国のササナ王国占領のためイスラム勢力を引き連れジハードを宣言。
この時のアッバース朝はアラビア半島を本拠地にして東はペルシア、西はエジプトからイフリーキヤ、北はコーカサスまでを支配する世界帝国である。これに比べればアルバ帝国なんて吹けば飛ぶような小さな国に過ぎない。
脅威に対抗して分裂しがちだった国内は団結するようになる。この団結の表れとして数十年承認されなかった「王国総督制」が臣下達によって承認されることとなった。この王国総督制は統治する上ですぐにでも取りたい国法。
アルバ帝国には同じキリスト教国家のパンノニア王国やポメラニア小王国の他、この間まで戦っていたザクセン部族も味方した。アイルランドに上陸しようとする無数のイスラム軍を跳ね返し、戦勝点を稼ぐ。上陸戦は陸側が圧倒的に有利だ。
1053年、アッバース朝はアルバ帝国からの和平を承諾しジハードは失敗に終わる。
ひとまず脅威は去った。
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我が家
今回は我が家の年長者だった親戚の法事で聞いた私の家系、「牟田家」の話。完全備忘録。
もともと私の家系が佐賀藩の武士の末裔である話は聞いていた。牟田氏族は藤原道隆から分かれた藤原氏の一族で、福岡県三潴郡にルーツを持つ。
今回聞いたのはひいおじいさんの話。私が生まれた時にはすでに亡く、会ったことはない。
私の実家がある吉野ヶ里町にはかつて目達原飛行場(めたばるひこうじょう)があった。今も跡地として石碑が残るこの飛行場は、特攻隊が飛び立つ基地であったのだ。
そして、特攻隊員はこの周辺で出発の時を待ったというが、この時特攻隊員の世話をしていたのが私のひいおじいさんだった。
当時の牟田家は大地主で、たくさん土地を所有しており特攻隊員もそこに寝泊まりしていた。私の実家もその土地の中に建てられている。
宿やご飯を提供してもらった特攻隊員は出撃の際、目達原飛行場を飛び立った後に私の実家の上空を3周して目的地に向かっていったという。
私の本家(私自身は祖父が6男のため分家になる)の倉庫からは出撃前に残していった特攻隊員からの感謝の手紙がたくさん出てきた。戦後、その家族の元に手紙は返された。
そして、手紙を出して出撃していった特攻隊員の中に唯一生き残った隊員がいたらしく、その人は戦後東京から直接感謝を述べに会いに来たという。
桃鉄10年戦争
クリスマスの夜から友達7人で桃鉄をやった。
しゅしょ社長←私のチーム
そーすけ社長
ざいあ社長
いんきゃ社長
桃鉄自体はWiiとかでやっていたのでなんとな〜くルールは知っていた。エアプレーンボンビーで何人か友人を無くしたこともある。
ゲーム10年で開始。この時はこの争いが25日23:30分から翌朝26日9時まで続くことになるとは誰も思っていない。
序盤。皆それほど大差がつくこともなくどんぐりの背比べが続く。そーすけといんきゃは順調に目的地到達を果たし、ざいあは房総半島を暴走しながらナイスカード集めをする。その頃我々しゅしょは私の地元佐賀の物件独占に奔走していた。
途中からはぶっとびカードで目的地ホールインワンするゴルフゲームと成り果てるまで各々楽しみ続けていたが、4年目にそれは起こった。
しゅしょ社長の順になり私がサイコロを振った。止まったカードマスではカードがランダムに貰える。そこで出てきたのが
「シンデレラカード」
こいつはなんと物件を一つ無条件に手に入れることができるのだ。我々はぶっとびホールインワンゲームを途端にやめた。
血眼になって近くのバカ高物件を探す。シンデレラカードの効果が切れるのは5ヶ月。短い。
そして、最終的に豊田の自動車工場7000億を獲得。一気に1位にのし上がる。
ここからこのゲームはトヨタ獲得戦争に様変わりした。皆が血眼になって我々のトヨタ工事を狙ってくる。ここにいんきゃ・そーすけ同盟が締結された。
いんきゃ・そーすけ同盟は日本中を巡りながら強奪飛びカードの存在を知る(みんながこのゲーム初プレイなので何がどこにるかは分からない)。強奪飛びカードとは独占されていない都市がランダムに8つ表示され、その都市の物件を強奪しながらそこへ行けるというまさにぶっ壊れカード。強奪飛びカードが北海道の浦河にあることを知った同盟軍はここから毎ターン強襲をかけ続ける。我々はそのランダムに選ばれる8つに豊田が入らないように、出来るだけ多くの都市を訪れながら、あえて独占せず物件を購入し続けた。こうすることによって豊田の出現率は少しずつだが下がっていくのだ。
さらには毎ターン200億を越える資金を元手に手持ちのカードを全て刀狩りカードに変換。刀狩りカードは相手のカードを奪えるカードで、次第に敵の強奪飛びカードを奪いながら同盟軍の攻撃を阻止した。
だが8年目にして遂に同盟軍は豊田を引き当て、いんきゃが自動車工場を我々から奪取。我々は急遽強奪飛びカードを求め彷徨い始める。完全に攻守交替だ。
さらに、ここで一大事が起こる。この同盟戦争に全く参加せず房総半島を暴走し続けたざいあ社長がなんとシンデレラカードを獲得。すぐ近くの幕張ネズミーランド(8000億円)をゲットし一気に最下位から1位に躍り出た。
いんきゃが自動車工場を獲得したことによりそーすけとの同盟は決裂。ここから毎ターンチームが2人で何十分も相談しまくり、敵チームとの協力、騙し合いを重ねる最高の心理戦が幕を開けた。
9年目から皆んな長考が入りゲームの進行時間は遅くなる。各々がどうやってネズミーランドと自動車工場を獲得するかに全力を賭けた。刀狩りカードの相手の保有枚数を全て把握した上でイタチごっこに勝てるかどうか、後出し有利の占領合戦においてどうやって先攻アドバンテージを活かすか。
我々はざいあと手を組み、幕張にうんちを置くことでざいあのネズミーランドを防御。その後ざいあと我々はいんきゃの持つ自動車工場奪還に動き出した。正直自動車工場ではざいあのネズミーランドに勝てないが、2位でも取れるならいいという判断だ。
両者が結託したことで10年目の2月から詰めに入っていた。刀狩りカードでいんきゃから乗っ取りカードを奪い、次の3月(最終ターン)で豊田に乗り込み乗っとるという計画だ。ここに到達するまでに敵の持ちカードを消費させてきたのだ。全てがここに通じた。
…勝利の女神は我々に微笑まなかった。実は刀狩りカード、たまに失敗するらしい。ここでその失敗が入り乗っ取りカードが手に入らず計画は失敗に終わった。開始4年目〜8年目に1強を誇った我々は負けたのだった…。。。
ち・な・み・にそーすけ社長(人数の問題でここだけ1人チームになってしまった…ごめん)は途中皆んなの長考時間で眠気に耐えられず寝落ちしてしまいコンピュータ代行になっている。
世界史まとめ① ブルゴーニュ地方の変遷
図式化して分かりやすくするのが好きなので完全な自己満足ですが、誰かのニーズに合えば幸いです。
今回は変遷が著しいブルゴーニュ地方をまとめました。
ブルゴーニュの語源となったのは大移動したゲルマン民族の1派である「ブルグント人」。彼らは西ローマ帝国内でブルグント王国を興し、西ローマ帝国滅亡後フランク王国によって併合されブルグント人という特性は失われブルゴーニュという地名でのみ残った。
フランク帝国の分割相続の影響によりブルゴーニュは分裂と合体を繰り返し、大まかにフランス王国領のブルゴーニュ公領と神聖ローマ帝国領のアルル王領に分かれた。アルル王領からは次第に諸侯が分離していき、それぞれが婚姻などによってフランス王国に統合されていった。フランス王国のブルゴーニュ公はフランス王家のヴァロワ家が継いだが、度々フランス王国に反抗した。ブルゴーニュ公はネーデルラント諸侯を婚姻等によってまとめあげ大勢力を誇ったが、ブルゴーニュ戦争に敗れ大半がフランス王国に回収され、残りはハプスブルク家に継承される。
スペイン・ハプスブルク家断絶後スペインにはフランスと同じボルボン王家が成立し、ブルゴーニュ地方もフランク王国支配に戻っていった。
CK2戦記アイルランド編②十字軍発令
前回→
901年、フランス王国のアキテーヌ王領がウマイヤ朝のスルタンであるイブラヒムによって奪われ、第1回十字軍が始まる。エーレも参戦したが、大陸側の事情は蚊帳の外なので適当に傍観。
916年、ヨーク公領を獲得。同年第1回十字軍は失敗に終わるが、15年の月日の努力はウマイヤ朝とアンダルシア王国内複数諸侯の分離独立という形で一応の成果を得た。
917年、エーレ王国は部族制を廃止し封建制を受容。国家としての歴史を歩み始める。
929年、長子単独相続法を国内で認可。このおかげで時のエーレ王コンガル2世は長女クマンを後継者とすることに成功した。コンガル2世は広範囲の領土拡張に成功した名君だったが、男子に恵まれず相続が課題となっていたのだ。
954年、フランス王国のパリがデンマーク王国によって陥落し、第2回十字軍が結成される。デンマーク王国は未だ部族制であり、スラブ原始宗教を信仰していた。
956年、第2回十字軍成功。今回はエーレもブリテン島のデンマーク領土に侵攻し戦功を挙げた。これによって潤沢な資金を教皇から得ることができた。
翌957年、この資金源をもとに4500人の傭兵を雇い、クマンの封臣4000の軍と合わせて混乱冷めやまぬデンマーク領エセックスに侵攻。
これに勝利してエセックス公領を獲得。このほかコーンウォール公国をも併合し、ブリテン島における勢力均衡はエーレに傾いていった。
961年、スコットランド王国からアルバ公領を獲得。
さらに972年、モレー公領をも獲得
977年、スコットランド王国エマーンからアルバ王位を簒奪。
980年、グウィネズ継承戦争。エーレ女王クマンの代で当時のグウィネズ女王キュネズリュスの子供達全員と婚姻を結んだおかげで、その中のだれが継承してもエオーガナフド・ロハ・レーン家の血が継がれるよう種付けしていたのが実を結んだ。
981年、グウィネズ公国を継承し、ウラタン・ウァグ王国(ウェールズ王国)を創設。これによってエーレ王キリェーネはアルバ王、ウラタン・ウァグ王をも兼ねるようになる。
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CK2戦記アイルランド編①エーレ王国建国
久々にプレイ記録です。卒論にやっと目処がついたので。別にマッチングアプリしかやることなかったわけじゃありません。
CK3が発売されてしばらく経ちますが、今回はまだCK2でやっていきます。お金がないので新作買ってないだけです。
今回はアイルランドのムウ族長、マイル・ドゥーンでやっていきます。王朝はエオーガナフド・ロハ・レーン朝。聞いたことないんだけどこれは古アイルランド語なのでしょうか。
769年開始。アイルランド地方の2郡を所有してます。アイルランド地方は自分含め封建制も浸透していない弱小部族ばかりなので、他の大国に取られる前に動きます。
ブリテン島の中規模領主であるマーシア小王国と婚姻、同盟を組み、アイルランド戦争開始。ダス―イン族長領から始まり立て続けに殴りながらマーシア小王国継承の機会をうかがう。
808年、2代目コンガルの時代に息子リヴィエルがマーシア小王国の継承権を獲得し、マーシア継承戦争勃発。ウェセックエス小王国とデレ小王国の援軍と共に勝利。息子をマーシア小王に即位させた。
822年、3代目リヴィエルが即位。分割相続制とかいう部族制のゴミ制度によりリヴィエルはマーシア小王に、弟フルスが本国のムウ小王に即位。828年、リヴィエルはフルスを破りムウ、マーシアの両小王国を統合。この頃からブリテン島はデンマーク王国の侵攻を受けるようになり、エセックス地方がデーン人の手に落ちた。
834年、リヴィエルが何者かによって暗殺され、リヴィエルの息子を追放したフルスが兄の称号全てを継承した。
858年、デンマーク王国配下のアイスランド伯ジャールによってアイルランド遠征が始まる。これに対しアイルランド、ブリテン島部族は一致団結して対抗。
865年の勢力図
ムウ小王国はアイルランドの南半分とマーシア小王国を支配。ブリテン島ではデンマーク王国がノルサンヒュブラ小王国も併合し脅威となっていった。大陸ではフランク王国がフランス王国、アウストラシア王国、ドイツ王国に分裂。この3国は封建制の元強大化していた。東側ではパンノニア、マジャール、ポメラニア部族が勢力を伸ばしていたが、ここでもデンマーク王国の侵攻が進んでいる。
876年、アウストラシア王国からブルガンディー王国が独立し、ブルガンディー王国と婚姻同盟。これによって強大な後ろ盾を得た。
同年、エーレ王国を建国。
895年の勢力図。ウマイヤ朝がピレネー山脈を越えアキテーヌに侵攻。フランス王国内の混乱の中からピカルディが独立。
897年、アイルランド全土併合。
次回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/12/16/235526
マッチングアプリ日記③
最終話です。なぜなら会員期間が12/8までだから。もう8000円近く払うヘマはしたくないからね。
なんやかんや1ヶ月続けました。
結果いいね35、マッチング数18、実際に会ったのは0人。
まぁ多分人によっては健気にメッセージしてたら会うことはできるんじゃないでしょうか。私は面倒くさくなって途中で返信やめちゃいました。
マッチングアプリをしてて大事なのは相手と自分、お互いが無数のやり取り相手の中の1人っていうのを忘れちゃダメってこと。特に女性はいいねの数が軽く100は越えているので、多分相当選択肢があるんだと思います。この年代は女性が選ぶ立場にいるんだなって強く感じます。自惚れずいきましょう。
ちょっと気になったのは「初回のデート費用」ってところに「男性が全部払う」にしっかりチェック入れてる女性。「私は初めて会って数時間過ごすだけで、貴方が全部払いたいと思わせるような人間である」って言ってるようなもんでしょ?すごい自信家だなー。だったら多分マッチングアプリとかしなくても余裕だと思うんだけど、なんでかなー。こんなこと思うような性格の悪い人間だから彼女ができないんだよ。
8000円払って良い社会勉強ができました。ではまたいつか、マッチングアプリ〜東カレ編〜でお会いしましょう!!