EU4戦記 オーストリア編⑩ 内患外憂
前回→
今回もダイジェスト。モントモレンシー家のマリーによる摂政時代。
・1750年 カザフ・ハン戦争
・1752年 コモンウェルス戦争
・1755年 ヨハン・レオポルト2世、第11代オーストリア君主に即位。親政を始める。
・1757年 ティムール戦争
イスラム勢力だけでなくインドのヒンドゥー教勢力であるマールワール王国まで引き連れての参戦だったが、実数4倍以上の神聖ローマ軍にかなうはずはなかった。
・1765年 ロシア・オスマン戦争
かつてはオスマン帝国とロシアの同盟がオーストリアの東方進出の防波堤だったがもはや3つの帝国の戦力差は歴然としていた。
・1770年 コモンウェルス戦争
・1771年 明帝国戦争
神聖ローマ帝国軍が遂に中国の土地を踏む。明の朝貢国であるチベット王国の半分を割譲。
・1783年 ロシア戦争
・1786年 朝鮮戦争
この戦争中にヨハン・レオポルト2世が死去。次いでフランツ3世が第12代神聖ローマ皇帝、オーストリア君主に即位。
この戦争による領土拡張の結果国内の反乱軍が、かつて滅ぼされた主権国家の復活を目的に一挙に立ち上がった。反乱鎮圧には7年を要し、60年前に滅ぼしたスウェーデン王国の復活が宣言され世界統一への慎重度を高めていかざるを得なくなった。
・1814年 フランツ3世死去。ラディスラウス1世が第13代神聖ローマ皇帝、オーストリア君主に即位。ゲームオーバーまであと7年。。。
続き→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/05/06/202732