EU4戦記 ザクセン編③ 臥薪嘗胆
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第3代ザクセン公ヨハン・ゲオルグ1世は即位してしばらくの間は内政充実に努めた。対外拡張の意思を見せないようにしながらも着実に国力を高めていった。
ことあるごとに家臣に「ヨハン・ゲオルグよ、エバーシュタインの恥を忘れたか」と言わせた。そのたびにヨハン・ゲオルグ1世は苦い胆をなめることで敗北の屈辱を忘れないでいたのである。
この間の諸外国の状況を簡単に確認。
イベリア半島はまだイスラム勢力(緑色全部)が半分以上を占め、カスティリャとその同君下位国であるレオン、ガリツィア王国がレコンキスタ中。ポルトガル王国の元となったポルトゥカーレ伯領も最初はあったけどガリツィア王国によって再征服されている。
フランス王国はカペー朝の王権衰弱により諸侯が半独立状態。だが、これもフィリップ1世によって次第に統合されていっている。
・1092年、約10年間の沈黙を破りヨハン・ゲオルグ1世はかつての対索大同盟の盟主であったオルデンブルク公国に宣戦布告。
敵同盟国を速攻で脱落させ、賠償金のみで和平。オルデンブルク地域以外の過剰拡大を恐れたからである。翌年の1093年に終戦。オルデンブルク公国はこの1戦で滅亡し、ザクセン公国は17年前の雪辱を晴らした。
ヨハン・ゲオルグ1世は奪われた地域の再征服に乗りだす。1095年のホルシュタイン公国戦争開始から約10年をかけてホルシュタイン公国、ダンネンベルク伯領、ミンデン司教領、フェルデン市とモールマーラントとエストリンゲン地域の原住民を征服。ちなみにクレルモン宗教会議は開かれず十字軍は未だ派遣されない。バルカン半島では依然ビザンツ帝国が大きな影響力を保ち続けていた。
ザクセン再統一を果たし、ヨハン・ゲオルグ1世は西南部の神聖ローマ帝国地域から北東部の原住民地域に対象を変更し、帝国内での反発をできるだけ避けようとした。東方植民開始。
・1109年、東方植民の先駆けに属国メクレンブルク=シュヴェリーン地域を併合。同年、各国から列強の一つとしてみなされるようになった。
1111年、ヴェルレ地域に進攻。東方植民を推し進める過程で障害となるメクレンブルク、バース伯との同盟を破棄し、あらたにユトレヒト司教領、ポーランド王国と同盟を締結。ザクセン公国の西方の強国ユトレヒト司教との同盟によって挟まれる心配なく東方植民に専念できるようになる。
同年、第2代神聖ローマ皇帝ディーター1世死去。トスカーナ大公のレオポルト1世が第3代神聖ローマ皇帝に即位。
1114年、ザクセン公国のランクがduchyからprincipalityにアップグレード。日本ではどちらも公国と訳すけど、後者のほうが上なのかな?
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