EU4戦記 ザクセン編④ 王国成立
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シュテッティン地方も抑え、東方植民は順調に進んでいた。原住民の抵抗は帝国諸侯との戦争に比べれば楽なものであった。さらに、東方植民は神聖ローマ帝国の拡大にもつながるため、選帝侯からのザクセンへの評判も上がっていく。
そして1119年、いつも通りの気楽さでスターガード地方を攻めた際に事は起きた。
帝国の有力諸侯であり列強にも数えられるボヘミア公国が敵側に参戦。ヨハン・ゲオルグ1世は慌てて同盟国に参戦要請を出し、北部ドイツに大戦の口火が切られた。
最大の会戦となったスターガードの戦いでは孤立したザクセン軍1万がボヘミア軍1万8千と激突。約2倍の兵力差であったが、訓練量に勝るザクセン軍がこれを撃破。一気にボヘミア本国へなだれ込む。
1122年に終戦。ボヘミアはベルリン地域一帯をザクセンに割譲することとなった。
同年、第3代ザクセン公ヨハン・ゲオルグ1世死去。第4代ザクセン公にヨハン・ゲオルグ2世即位。
翌1123年、見かけないミッションを達成。条件はベルリン地域の征服。内容は新たにブランデンブルク辺境伯領が置かれるというもの。
このミッションは達成しないほうがいい気がするけど面白そうだからやっといた。確かにブランデンブルク辺境伯領はザクセン公のアルブレヒト熊公から始まるけど、これってザクセン特有のミッションなのかな?実際より30年ほど早い設置。
1129年の地図がこんな感じ
東方植民はポメラニア地域までだいたい完了。ポメレリアはポーランド王国と同盟を結んでいるのでここで頓挫。その間にかつて第2次対索大同盟の加盟国であったホーヤ伯領とかをしれっと併合したりしています。もう50年以上前だけど、ザクセン公国民は忘れません。
1133年
第3代神聖ローマ皇帝レオポルト1世が死去。皇帝選挙の結果ザクセン公ヨハン・ゲオルグ2世が皇帝に選出され第4代神聖ローマ皇帝に。この前のオーストリア編みたいに特に狙ってなかったのでびっくりしました。
1137年、ポーランド王国とポメレリアの同盟対策のため2方面作戦開始。まず、ブラウンシュヴァイク公国に宣戦布告しポーランド王国を味方につけて参戦させる。次にその戦争が終わる前にポメレリアに宣戦布告。するとなんということでしょう。ポメレリアの同盟国ポーランド王国はザクセンと共闘しているのでポメレリアを助けられないではありませんか。常套手段。
1139年2方面作戦終了。これと同時にザクセン公国はザクセン王国として認められるようになり、ヨハン・ゲオルグ2世は初代ザクセン王としても戴冠。
1142年、ザクセン王国成立を記念して初のロイヤル海軍の建造を決定。旗艦の名前は「肥前」。ザクセン関係ないですね、すみません。私の出身地の名前つけました。ロシア海軍の使いまわしは嫌だからね。
翌1143年にはブランデンブルク辺境伯領を属国化。結局そうするんかい。
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