EU4戦記 ザクセン編㉓ 諸国民の春
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第25代ザクセン皇帝フリードリヒ・アウグスト5世の時代。
1834年、ザクセン帝国を北ドイツ連邦に格上げ。史実のドイツ関税同盟と同じ年。神聖ローマ帝国ではなくザクセン帝国こそがドイツを作り上げる国家であることを宣言した。
同年
属国のブランデンブルク辺境伯が宗主国北ドイツ連邦に独立戦争を仕掛ける。他にもリトアニア辺境伯、カスティーリャ辺境伯とアフリカ植民地が宗主権を否定しブランデンブルク側で参戦。諸国民の春。
ブランデンブルク辺境伯は第4代ザクセン公(のちに初代ザクセン王)ヨハン・ゲオルグ2世によって1123年に設置され、20年後の1143年からザクセンの属国として歩んできた歴史ある辺境伯。なんと感慨深い。(https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/05/18/112648)
国民国家建設が騒がれるこの時代にこの辺境伯たちには力を与えすぎてしまった。私が軍隊を動かすのが面倒で属国にやらせていたことに不満が募ったのだろう。この戦争では北ドイツ連邦主席フリードリヒ・アウグスト5世の直轄軍130万を自らの手で指揮しすべての反乱を鎮圧。領土を削減し辺境伯の力を削いだ。
1836年、ウェルツェン条約締結。属国の独立は認められないままに終わったが、独立欲求は依然として高いままだ。
1838年、VSモースバッハ伯
1842年、VSフェレット公国
1845年、久々の2方面作戦。北ドイツ連邦の同盟国シチリア帝国がポーランド帝国とも結んでいるので、ポーランド帝国侵攻の際にシチリア帝国が敵側に参戦する恐れがあった。これに対応するためサルデーニャ王国侵攻にシチリア帝国を釣りだし、その間にポーランド帝国侵攻。
1847年の地図
徐々にドイツ西部も統一しつつある。属国の併合までは間に合わないので、ザクセン王家であるビルング家(辺境伯もすべてビルング家)によるビルング帝国がどれだけ拡大できるかを狙っていく。
1848年
再び辺境伯達が独立戦争を仕掛ける。ブランデンブルク、ボスニア、カスティーリャ、アラゴン、サガ、ヨシノガリの辺境伯が敵側参戦。そのまま1848年革命。
3年後の1851年に再び鎮圧。何度たたいても独立運動をやめない辺境伯達。もうこの時代にこんな風に属国をたくさん束ねているほうがおかしいんだろうけど、ゲームオーバーまであと少し待ってください…。
1857年、VSロンバルディア帝国
1867年、VSリエージュ司教領
1869年地図