EU4戦記 ザクセン編⑲ フランス継承
前回→
第18代ザクセン王アウグスト1世の時代。
ザクセン領ネーデルラントに大量の軍勢を用意したがフランス領内で各個撃破に悩まされる。途中敵側同盟国のラウジッツ辺境伯領を全土併合。フランスからは北部沿岸を割譲しノルマンディー辺境伯を設置。
戦中の1651年、アウグスト1世が死去。ヨハン・ゲオルグ4世が第19代ザクセン王に即位。
1655年、ビザンツ戦争。この後のバルカン地図はこんな感じ。
1660年、フランスでカペー朝が断絶。ロンバルディア帝国がフランス帝国の継承を宣言したがヨハン・ゲオルグ4世はこれに異を唱え自らがフランス王継承者だと宣言(なんで?)。フランス継承戦争が始まる。
戦中の1663年、フリースラント公のヨリス2世が第31代神聖ローマ皇帝に即位。
ヨハン・ゲオルグ4世保持称号:ザクセン王、ザクセン選帝侯、ブランデンブルク=シュテンダル公、スコットランド王、フランス王
さらに、有効なライバルが同盟国ポーランド帝国のみになったのでやむなく同盟破棄。
1666年、クロアチア公国に宣戦。
1669年、ザクセン領アフリカ拡張のためトレムセンに宣戦。イベリア半島のモロッコ王国も敵側で参戦。モロッコ王国はザクセン王国に次いで列強第2位の強国。
会戦の規模も大きくなってきた。ギプスコアの戦いでは80万近い兵力がぶつかり、多数の死傷者を出した。モロッコ王国は要塞が多く軍も屈強で早めに対処したい国として意識されるようになる。
1677年、ビザンツ戦争。これでビザンツ帝国は内陸国となる。
この後再び大量の反乱軍に悩まされる。面倒くさい。。。
EU4戦記 ザクセン編⑱ 破局
前回→
第17代ザクセン王エルンスト1世の時代。
大規模な戦争のあとの国力の回復には長い時間を費やした。各地に散りばめられた飛び地平定のための大量の軍の指揮は難しく、ザクセン王国内に辺境伯を置く機運が高まる。
1614年、アフリカ遠征
敵はザイヤーン朝のトレムセンとイベリア半島のイスラム国家。この頃イベリア半島ではキリスト教国家によるレコンキスタは失敗し大半をモロッコ王国が占めていた。ここと戦うためイベリア半島にも橋頭保を築く。
このmodではアフリカは植民地扱いになるらしく、トレムセンから割譲した地域にザクセン領アフリカ植民地が建設された。
1619年、リヴォニア辺境伯とリトアニア辺境伯を設置。ルーシ諸民族の反乱鎮圧をここに任せた。
同年、マイセン公のバルタサル3世が第27代神聖ローマ皇帝に即位。5代連続でビルング家のマイセン公からの皇帝排出。
同年、ビザンツ戦争。
1625年、エルンスト1世死去。息子はまだ若く、母ギアチンタが摂政を務める。
同年、マイセン公からの参戦要請
なんと敵はポーランド帝国。気づかないうちにマイセン公国とポーランド帝国の仲は最悪になっており、理想としていた3国同盟は破棄されていた。ギアチンタはマイセン公、ポーランド皇帝両方と同盟を結んでいたので、この戦争には不干渉を宣言。するとマイセン公はこちらとの同盟を破棄し、一方的な敵視を始める。この後ポーランド帝国からも参戦要請が来たためこちらに応じて参戦。25年前大同盟戦争でともに戦った国々が2つに割れての戦争となった。
この戦争でザクセンは大きな収穫はなかった。マイセン公国との復縁は難しく、500年以上続いた関係はここで途切れた。マイセン公家も王朝をビルング家(ザクセン王家の親戚)から変更。一時はザクセン王、マイセン公、ポーランド皇帝を排出したビルング家も再びザクセン王家のみとなった。
1627年、アウグスト1世が第18代ザクセン王に即位。
同年、キエフ公国に宣戦布告。キエフ公国はかつての大同盟戦争の敵側盟主国であり因縁の相手。立ち上がれないくらいにボコボコにした。
1631年、マイセン公のアルブレヒト2世が第28代神聖ローマ皇帝に即位。
1632年、第2次アフリカ遠征
1635年、フリースラント公のヘンドリック・カシミル2世が第29代神聖ローマ皇帝に即位。と思ったら3か月後対立公のヴィルヘルム・フレデリク1世が第30代神聖ローマ皇帝に即位。
1638年、ビザンツ戦争。
1643年、ボスニア辺境伯を設置しクロアチア公国に宣戦布告。
バルカン半島も次第に統一されていく。
おしまい
無事に就活が終わりました。
以前あんな心配事を書いたのに終わるとあっという間ですね。
手帳の他社様とのこの先の予定に全部横線引いてやりました。
はぁ、社会人か。
EU4戦記 ザクセン編⑰ 第2次大同盟戦争
前回→
第16代ザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世の時代
1579年、第4次ビザンツ戦争。バルカン半島を縦断する領土割譲によりザクセン領バルカンとの連結を叶える。
この戦争後国内の不穏度が再びマックスになり、各地で独立運動や改革への反乱が後を絶たなくなる。特にリヴォニア地域でルーシ民族の動きが活発化し、何度もPCの画面を叩き割ることになった。
1586年、フリードリヒ・アウグスト3世が死去。神童エルンストが第17代ザクセン王二即位。同時にブランデンブルク=シュテンダル辺境伯領も引き継ぐ形で併合した。
同年、リッペ候に宣戦。敵にマインツ大司教をはじめとした多くの帝国諸侯。この選択がのちの悲劇を呼び起こす。
1591年、アイルランド戦争。
1592年、エルンスト1世は新たな旗艦建造を命じる。110年前に沈没した4代目旗艦佐賀に続く5代目旗艦の名前は「久留米」
1594年、マイセン公のヴィルヘルム5世が第26代神聖ローマ皇帝に即位。
1598年
裏で組まれていた対索大同盟は、キエフ公国を代表としてザクセン王国に宣戦布告。大同盟戦争が勃発する。
味方総勢100万
ザクセン王国、スコットランド王国、ブランデンブルク公国、マイセン公国、ポーランド帝国、トランシルヴァニア辺境伯領、サルデーニャ王国、シチリア帝国、メッツ司教領、バレンシア=スルタン朝
敵総数115万 上記以外の帝国諸侯やビザンツ帝国、クロアチア公国など62か国
緑、黄緑、青が味方。赤が敵。
1074年にオルデンブルク公国に仕掛けられた懲罰戦争が頭をよぎる。だが今回はその当時とは数が違いすぎる。
絶望的な状況下だが、味方軍は孤立した敵軍の各個撃破を狙い戦勝点をキープした。大国フランスが参戦していないことが唯一の救いだったが、次第にこちらの人的資源も尽き始める。
翌年、黄金時代を開始。軍量差を圧倒的な軍質で迎え撃つ。途中でバレンシア=スルタン朝やメッツ司教領が脱落し始め、兵力差は歴然となっていった。
1601年。開始から3年。この間味方は敵に戦勝点5点も与えず粘り強く戦っていた。次第に敵側も人的資源が尽き始め厭戦感情が高まる。ここでエルンスト1世はキエフ公国の旧領3州の引き渡しを条件に和平を締結。3年間にわたり続き両軍合わせて300万人以上の死傷者を出したヨーロッパ大戦は幕を下ろす。
戦争には負けたものの、味方10か国で圧倒的な数の敵と渡り合えたのはエルンスト1世の自信にもつながり、周辺諸国もザクセンの国力を改めて知ることとなった。戦争勃発時に同盟を切らず共に戦ってくれた味方同盟国への信頼度は個人的に爆上がり。今まで勝てなそうだったら参戦拒否してごめんね!
次回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/06/05/095123
EU4戦記 ザクセン編⑯ ザクセン・コンクエスト
前回→
第15代ザクセン王ヨアヒム1世の時代。
1553年、外交枠があいたので選帝侯のケルン大司教と同盟。さらにバルカンでの拡大の助けになるであろうトランシルヴァニア辺境伯と婚姻同盟。
1558年、イングランド戦争。この結果イングランドはグレートブリテン島の内陸国に抑え込まれた。
1561年、第3次ビザンツ戦争
敵同盟国のチュービンゲン公国は先に建設したザクセン領シュヴァーベンに隣接しているので1粒で2度おいしい。だが、ビザンツ帝国と違って神聖ローマ帝国諸侯であるチュービンゲン公からの領土割譲は周辺国からの評判を下げることになる。
今回も沿岸部をごっそり割譲。もうすぐザクセン領バルカンと連結できそう。
1566年
ケルン大司教から参戦要請。内容はネーデルラント独立戦争。低地諸国ではネーデルラント独立運動が激化しており、ユトレヒト大司教領全域、フランドル伯領全域、ケルン北部がネーデルラントに統合されていた。
ザクセン領ネーデルラントでもネーデルラントへの統合を望む声が上がり始める。ヨアヒム1世は4万の常備軍をブレダに配置し反乱軍を抑えた。その後ザクセン国内の不穏度が上昇したためケルンには悪いが早々に離脱。結果ネーデルラントはケルンから領土は獲得できなかったものの新たな国家として成立した。
1571年、ポロツク戦争。東方植民開始から462年、ついにポロツク公国を滅ぼし東方世界を統合。残るルーシ国家はキエフ公国とヴォルイーニ公国。
1573年
ヨアヒム1世が死去。フリードリヒ・アウグスト3世が第16代ザクセン王に即位。そして後継者がぐう有能。すぐさまフリードリヒ・アウグスト3世には軍を率いさせ、ネーデルラント独立反乱の鎮圧に向かわせる。
1574年、イングランド戦争。
翌1575年の講話条約でイングランド王国は滅亡。グレートブリテン島はザクセン王国と同君下位国のスコットランド王国によって統一された。1310年から265年続いたザクセン・コンクエストも終了。
1577年、マイセン公のフリードリヒ4世が第25代神聖ローマ皇帝に即位。同年、サルデーニャ王国と婚姻同盟を結び、イタリア方面はしばらく安泰となった。
ちなみに気付いたら隣国のトルトナ公国が周辺諸国を束ねてロンバルディア帝国が成立してました。かっこいい。
次回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/06/03/115826
EU4戦記 ザクセン編⑮ 第1回十字軍
前回→
摂政評議会中
1510年、マイセン公のエルンスト2世が第23代神聖ローマ皇帝に即位。久々のビルング家出身の皇帝である。
1514年、ヨアヒム1世が第15代ザクセン王に即位。同年、ザクセン領バルカン拡大のためクロアチア公国に宣戦。
クロアチア公国は一度ハンガリー王国によって滅ぼされたが、ビザンツ帝国の侵攻を受け弱体化したハンガリー王国から再び独立し、バルカン半島で1大勢力を築いていた。
1521年、ポロツク戦争。
1526年、アクイレイア戦争。ザクセン領イタリアとザクセン領バルカンの連結を目指した。途中でケンプテン司教領を属国化。
この戦争後しばらく包囲網が敷かれ、他国への戦争はできない状態が続いた。
1530年、マイセン公のエルンスト3世が第24代神聖ローマ皇帝に即位。
1542年 第2次ビザンツ戦争
この戦争の前段階としてかつてハンガリー王国の同君下位国であったシチリア帝国と婚姻同盟を結んだ。ビザンツ帝国はアフリカのイスラム諸公を引き連れての参戦。教皇から十字軍も発令され、イスラムの脅威のないこの世界ではギリシア正教が十字軍の標的であった。
翌年コンスタンティノープル陥落。実に465日という長い闘いであった。
沿岸部をごっそり割譲。ビザンツ海軍は未だ強大でザクセン海軍では歯が立たないため、いち早く港を全部併合したいところ。
1545年、属国ケンプテン司教領の再征服目当てでブレゲンツ公国に宣戦布告。マインツ大司教やホーエンツォレルン公も敵側で参戦するなど、予想に反して大戦争となった。
1547年、マイセン公ゲオルグ3世が第25代神聖ローマ皇帝に即位。マイセン公、早世が多い。
1548年の勢力図
黄緑、緑がザクセン直轄領、エメラルドが属国。青が同盟国。きったねえ国境線だな
1552年、ケンプテン司教領を併合。ザクセン領南シュヴァーベン建設。
次回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/06/02/191538
A列車で行く
自粛生活、如何お過ごしでしょうか。
私は企業先からの電話にビクビクしながら家で本読んだり卒論進めたりジオラマいじったりゲームしたりしてます。
EU4のザクセン編も進めたいのだけれど、ちょっと拡大しすぎて包囲網が面倒なので放置してます。放置したところで包囲網は解除されるわけではないですが。
EU4から離れて久々にA列車で行こうをやりました。9は実家にあるので、一人暮らし先ではexp+をやってます。
このゲームもいくらでもハマれるくらいの沼ゲーで、中2からずーっとやってます。
自分で駅の配線考えて、ダイヤを組んで、時刻表を作って、その通りに走らせ、街を発展させる。まぁ普通に難しいんだけどこれは約10年のキャリアで難なくこなせるようになります。慣れてくると、「私なら大分駅の乗り場あんなに作らずに列車捌けるけどな」とか、「名鉄名古屋駅やっぱ頭おかしいな」とか色々分かってきて面白い。
exp+では九州をモチーフにしたマップを作っていて、新幹線開通前の特急王国時代を再現してます。大きく違うところは門司港〜鳥栖を複々線にしてるところですね。列車種別も普通、準快速、快速、新快速、特急と5種類走らせてます。複雑なダイヤと通過退避を考えるのが醍醐味なんです。
(未完成)
ダイヤ作成は慣れてきたけど街並み作成が下手くそなので色んな動画見ながら勉強してます。最近は信号設置できたりフェンス作れたり…無限にできるわ、このゲーム。