都紀女加王墓前バス停で待つ。

長崎生まれ佐賀育ち 中高福岡大阪在住 完全趣味の自己満足ブログ。 @tsukimecha

EU4戦記 ザクセン編⑭ イタリア政策

前回→

tsuki-mecha.hatenablog.com

 

第14代ザクセンクリスティアン1世の時代。

 

1462年、索丁戦争

f:id:tsuki_mecha:20200529104549p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑭

1261年の第1次索丁戦争から200年。デンマーク王国ザクセン王国によって完全に滅亡した。

 

1463年、ポーランドの独立を支援して以降国交が断絶していたマイセン公国と再び同盟を締結。マイセンとポーランドも仲直りし、再び3国同盟が成立した。

 

1464年

f:id:tsuki_mecha:20200529105118p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑭

スコットランド継承戦争で得た属国ヴィチェンツァ公国を併合。ザクセン領イタリアを建設し、イタリア方面への橋頭堡を築く。

 

1466年、イタリア戦争開始

f:id:tsuki_mecha:20200529105423p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑭

同年、第20代神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世死去。同じくゲッティンゲン公のアントン・ウルリヒ1世が第21代神聖ローマ皇帝に即位。

 

1474年、ボヘミア戦争。神聖ローマ帝国内部にあるボヘミアへの出兵は、他国からの評判を大きく下げるためなかなか行えずにいたが、国境線をきれいにしたいという正当な開戦事由でこの度開戦。

 

1476年、ポーランドハンガリー出兵への参戦要求に応じる。ザクセンクロアチア地域の2郡を獲得し、ザクセン領バルカンを建設。先のザクセン領イタリアと合わせてアドリア海制海権獲得を狙う。

f:id:tsuki_mecha:20200529110151p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑭

 

1482年。地中海に派遣していた艦隊佐賀をネーデルラントに移動させる最中の大西洋中で沈没。。。戦艦佐賀(1424~1482)、散る。

 

1483年、ザクセン領バルカンの拡大のためラシュカ公国に宣戦布告。

 

1488年

f:id:tsuki_mecha:20200529110607p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑭

スコットランド継承戦争でも戦ったトルトナ公国に宣戦布告。すると教皇領をはじめとするイタリア諸侯が敵側について参戦(赤い国)。イタリア方面に最小限の軍しか置いてなかったクリスティアン1世は艦隊佐賀の沈没で海経由で軍隊を輸送できなくなったことを嘆く。

コルティナの戦いで何とか勝利し、味方優位に傾く。教皇領とは白紙和平をし、他の諸侯からは沿岸部を集中的に割譲させた。

 

1493年、イングランド戦争。

 

1497年、破門されたイタリア諸侯ファエンツァ公国と戦争。破門された国には無条件で戦争を吹っ掛けられるとか、破門の効果ってすさまじいんだね。

 

1499年、アントン・ウルリヒ1世死去。ノルドガ辺境伯のフィリップ1世が第22代神聖ローマ皇帝に即位。

 

1502年、プロテスタントが発生。

f:id:tsuki_mecha:20200529111753p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑭

しかも発生地がコンスタンツ公国。コンスタンツ公会議宗教改革の時代が迫る。ちなみに裏ではポーランドに呼ばれてハンガリーに出兵したものの、フランスが敵側につき敗戦。これだけの大国になったザクセン王国だが、まだまだ最強国家とは程遠い。

 

1507年、第14代クリスティアン1世死去。後継者は未だ若く、摂政評議会が置かれる。

 

1508年、フランスへの防御線としてフォレ公国と同盟。

f:id:tsuki_mecha:20200529112704p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑭

 

次回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/06/01/144227

 

 

 

 

EU4戦記 ザクセン編⑬ 揺れるビルング家

前回→

tsuki-mecha.hatenablog.com

 

第13代ザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世の時代。

 

1424年、7年の歳月をかけて3代目の旗艦が完成。名前は「佐賀」。ネタ切れ感が否めない。

f:id:tsuki_mecha:20200528102157p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

 

1325年、ビザンツ帝国に宣戦布告。

f:id:tsuki_mecha:20200528102323p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

敵にラシュカ公国とゼータ公国。ザクセン軍はトランシルヴァニア方面から、同盟国軍はクロアチア方面からバルカン半島に進軍した。

f:id:tsuki_mecha:20200528102617p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

ザクセンの宣戦布告に合わせてハンガリー王国ビザンツ帝国に宣戦布告。2つの戦争を同時進行で行わされたビザンツ帝国は劣勢に。このままハンガリー王国が拡大するのも癪なので今回は早めに和平。

ビザンツ帝国からは黒海沿岸を割譲し、次回の戦争では難攻不落の首都コンスタンティノープルを目標とした。

f:id:tsuki_mecha:20200528102942p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

 

1433年

f:id:tsuki_mecha:20200528103058p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

スコットランド王家が断絶。かつて婚姻を結んでいたことによりザクセン王の同君下位国になることが決定。しかし、それに異を唱えたのがトルトナ公国。これによりスコットランド継承戦争が勃発するも、戦力差は明らかでザクセンは無事スコットランドを継承した。

 

1436年

f:id:tsuki_mecha:20200528103419p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

前話の通り、ザクセン系ビルング家は断絶し次の後継者はオーストリアのフォルムバッハ家から迎えられていた。しかし、この後継者が死去(暗殺説)。同年に生まれていた遠戚のビルング家の幼児が新たな後継者となり、ビルング家は継続することとなった。

そのわずか2ヵ月後、フリードリヒ・アウグスト2世が死去。アンネグレートが摂政となった。

 

1438年

f:id:tsuki_mecha:20200528104007p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

ビルング家はザクセン系、ブランデンブルク系、マイセン系、ポーランド系に分かれていた。そしてこの年ポーランド系が断絶しマイセン公の同君下位国となった。これに異を唱えたのがフランス。ここにポーランド継承戦争が勃発する。もしザクセンに摂政ではなく王が即位していたら、きっとポーランド王位はザクセンのもとに転がり込んでいたであろうと考えるととても残念。

f:id:tsuki_mecha:20200528104432p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

ザクセンはアールストの敗戦を糧にして国境付近に強固な要塞を建設していた(マジノ線)。これによりザクセンネーデルラントへのフランス軍の深入りを防止し、その間にブルガンディーからマイセン、ポーランド軍が合流する時間を稼ぐことに成功。だが、されど大国。7年に及ぶ攻防の末フランスはマイセンのポーランド継承を容認し、ザクセンもフランスから2郡を獲得した。

 

1446年、摂政アンネグレートが死去。摂政評議会が置かれ、王の即位まで他国への宣戦布告ができなくなる。

 

1451年、クリスティアン1世が第14代ザクセン王に即位。

同年、マイセン公からオーストリアへの出兵要請があったが、ザクセンオーストリアとの同盟を結んでいるためこれを拒否。これに対してマイセン公はザクセンとの同盟を一方的に破棄した。クリスティアン1世はこれに激怒し、マイセン公の同君下位国にされたものの独立を図っているポーランド貴族への支援を始める。

 

1456年、マイセン公に対してポーランド独立戦争を展開。ザクセンポーランドを支援し、ポーランド帝国が再興。だが、ポーランドのビルング家は断絶し、同じビルング家のマイセンとの関係も悪化してしまった。

EU4戦記 ザクセン編⑫ 吉野ヶ里沈没

前回→

tsuki-mecha.hatenablog.com

 

第11代ザクセン王フランツ・クサヴァー1世の時代。

 

1375年、イングランド戦争開始。同年、フランツ・クサヴァー1世死去。フランツ・クサヴァー2世が第12代ザクセン王に即位。

f:id:tsuki_mecha:20200527114158p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

 

1382年、第16代神聖ローマ皇帝フェルディナント3世死去。マイセン公のバルタサル2世が第17代神聖ローマ皇帝に即位。

 

1385年、第一次アイルランド戦争。アイルランド統一戦争がここに始まる。

f:id:tsuki_mecha:20200527121548p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

 

1390年、ポロツク・ルーシ国に宣戦布告。キエフ大公位は今やポロツク公により独占されており、キエフの総主権は失われていた。

f:id:tsuki_mecha:20200527121910p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

この戦いを発端としてルーシ諸侯への戦争が始まっていく。ビザンツ帝国正教会保護のために出兵する余力もなくなっており、後ろ盾を失ったルーシ諸侯は衰退していくのだった。

 

1399年、フランツ・クサヴァー2世死去。フリードリヒ・アウグスト2世が第13代ザクセン王に即位。

 

1401年

f:id:tsuki_mecha:20200527122236p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

フリードリヒ・アウグスト2世は子供に恵まれず、ザクセン宮廷は揺れていた。早く後継者を指名しないと他国から王位継承を宣言され同君下位国にされかねない。迷った挙句婚姻を結んでいたオーストリア大公家のフォルムバッハ家から後継者を指名した。こうしてヘルマン・ビルングによるザクセン辺境伯創設時代から続くザクセン系ビルング家は断絶。マイセン、ポーランド系ビルング家との統合は儚くも散った。。。

 

1403年、デンマーク戦

 

1406年、第17代神聖ローマ皇帝バルタサル2世死去。マイセン公のヴィルヘルム4世が第18代神聖ローマ皇帝に即位。しかし2年後ヴィルヘルム4世が急死し、次はゲッティンゲン公のカール4世が第19代神聖ローマ皇帝に即位。

f:id:tsuki_mecha:20200527123443p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

 

 1410年、バニラの開始時代である大航海時代開始。

f:id:tsuki_mecha:20200527123744p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

 

1416年、キエフ公国との戦争で得た領土によりビザンツ帝国と国境を隔てることになる。大戦の足音が近づいてきた。

 

1417年、マイセンに呼ばれイタリアのアクイレイア総司教国に宣戦布告。吉野ヶ里艦隊をジブラルタル海峡経由で地中海に派遣するも、長い航海で疲弊したところをアクイレイア艦隊に奇襲されアドリア海海戦で敗北。イタリア沿岸部の港湾都市に接岸も拒否され、ボロボロになりながらザクセンネーデルラントに帰る途中旗艦吉野ヶ里(1301~1417)沈没。地中海の藻屑となった。

f:id:tsuki_mecha:20200527124637p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑫

 

 

フリードリヒ・アウグスト2世は新たな艦隊の建設を命じる。

 

次回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/05/28/105839

EU4戦記 ザクセン編⑪ 7年戦争

前回→

tsuki-mecha.hatenablog.com

 

第11代ザクセン王フランツ・クサヴァー1世の時代

 

1351年、フランドル戦争。フランドル公国は神聖ローマ諸侯でもフランスのレーエンでもないので、あまり周辺国を刺激せずに拡大することができる。

 

しかし1355年、第4回対索大同盟が結成される。今回はフランス帝国も参加し、無視できない状況となった。

f:id:tsuki_mecha:20200526072000p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑪

 

1357年、マイセン公国からの参戦要求が届く。敵はクロアチア公国とフランス帝国。正直大国フランスを敵に回したくなかったが、ザクセン王家と同じビルング家の公家を持つマイセン公国はいずれ同君連合になる可能性もあるので、交友関係を何としても維持するため参戦。7年戦争開始。

戦線は大きく2つに分かれた。一つはクロアチア公国内のクロアチア戦線。もう一つはザクセンとフランスの国境にあたるネーデルラント戦線。大陸のザクセン軍は対デンマーク軍、対バイエルン軍も含めて全てがネーデルラント戦線に集中した。

f:id:tsuki_mecha:20200526072722p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑪

1357年、フランス軍本隊10万5千とザクセン軍本隊10万がアールストで激突。フランス皇帝フィリップ2世自身が指揮するフランス軍の士気は高く、このアールストの戦いでザクセン軍は敗北しブレダまで撤退。戦線はザクセンネーデルラント中腹まで押し上げられた。

f:id:tsuki_mecha:20200526073257p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑪

この後対アイルランド用にザクセンアイルランドに残していた2万の軍勢もネーデルラントに結集させ戦線は膠着。だが1359年になってフランス軍は後退を始めた。クロアチア戦線はマイセン軍とハンガリー軍によってかなり押しており、フランス軍クロアチア軍の救援に行かなければならなくなったのである。ザクセン軍は一気にザクセンネーデルラントを解放し、フランス領内になだれ込んだ。

1361年

f:id:tsuki_mecha:20200526073756p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑪

フランス首都パリ陥落。フランスの国民感情は一気に終戦へと向かっていく。

f:id:tsuki_mecha:20200526073957p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑪

トロアの戦いでザクセン軍はフィリップ2世率いるフランス軍に勝利し、フランス帝国はこの戦争から脱落。多大な賠償金をザクセンとマイセン両国に払うこととなった。

このフランスの敗北は第4回対索大同盟にも影響を与え、遂には解散することとなる。

 

1364年、7年戦争終了。ザクセンがフランスに勝ったという事実は今後の歴史を大きく揺るがす。

同年、ポーランド王家ピアスト朝が断絶しザクセンとの婚姻のおかげでビルング家の地を引く者が後継者となった。ポーランド王国も同君下位国にできる可能性が出てきた。

f:id:tsuki_mecha:20200526074717p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑪

 

1367年第5次索丁戦争。どうということもなく(蒼天航路)

 

1370年、ポーランド王国からの参戦要求に応じてルーシ諸侯と戦争開始。

f:id:tsuki_mecha:20200526075019p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑪

この戦いは軍質の差もありあっけなく勝利に終わった。ルーシ諸侯への警戒心は下がり、ザクセンの東方遠征への意欲もわく。

 

翌1371年、第15代神聖ローマ皇帝アルブレヒト2世死去。オーストリア大公フェルディナント3世(この代からオーストリア大公国に格上げ)が第16代神聖ローマ皇帝に即位。

 

次回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/05/27/124924

EU4戦記 ザクセン編⑩ 黒死病

前回→

tsuki-mecha.hatenablog.com

 

第10代ザクセン王フリードリヒ・クリスチャン1世の時代。

 

1324年、ボヘミア公国、マゾフシェ公国、ノイブルク公国と戦争。

 

1327年、ユトレヒト司教からのリエージュ参戦要求を拒否。お互いの南下政策の衝突を避けるためであった。その後ユトレヒト司教はザクセンとの同盟を破棄。フリードリヒ・クリスチャン1世は新たにスコットランド王国と婚姻、同盟を結び、イングランド征服に備えた。

同年、イングランド王国ウェールズ公国、フリースラント伯領、ウェックスフォード共和国と戦争。

f:id:tsuki_mecha:20200525114450p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑩

ザクセンコンクエストはさらに進んでゆく。裏ではユトレヒト司教がリエージュとケルンの連合軍に敗れ、領土を削られていた。

 

1331年第12代神聖ローマ皇帝カシミル1世死去。同じくホーエンツォレルン公のニコラウス1世が第13代神聖ローマ皇帝に即位。ホーエンツォレルン公はこれで3代連続の皇帝選出となる。

 

1335年第4次索丁戦争

f:id:tsuki_mecha:20200525114906p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑩

シェラン島全域とスカンジナビア半島の一部地域を併合。かつて共に滅ぼしたスウェーデン王国の領土に迫っている。

 

1339年第13代神聖ローマ皇帝ニコラウス1世死去。オーストリア公マクシミリアン2世が第14代神聖ローマ皇帝に即位。史実でもこの頃からオーストリアハプスブルク家神聖ローマ皇帝が連続してくるし、なんだかんだそういう歴史に帰結している。

 

1341年

f:id:tsuki_mecha:20200525115403p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑩

第10代ザクセン王フリードリヒ・クリスチャン1世死去。フランツ・クサヴァー1世が第11代ザクセン王に即位。

 

1343年第2次イングランド戦争。子の戦いでウェールズ公国と国境を接するようになり、新たに拡大の方向を獲得した。

 

1345年

f:id:tsuki_mecha:20200525115638p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑩

通常版では見られぬ国難である黒死病が発生。これは自国が所持している領土、港の数で被害が決まるらしい。ザクセン王国は今や広大な版図を築いており、推定される被害は甚大であった。

 

1347年、ウェールズ公国、ウェックスフォード共和国に宣戦布告。

同年

f:id:tsuki_mecha:20200525115941p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑩

黒死病蔓延。予備兵1万人以上と多数の市民が亡くなった。翌1348年にはオーストリア公の第14代神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世が黒死病で死去。同じくオーストリア公のアルブレヒト2世が第15代神聖ローマ皇帝に即位。

 

同1348年、ウェールズとの戦争終結

f:id:tsuki_mecha:20200525120648p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑩

ザクセンイングランドアイリッシュ海に面するまで拡大し、さらにウェックスフォード共和国から割譲した領土にザクセンアイルランド建設。今後の拡張はデンマークイングランドアイルランド方面に決定した。

 

1348年~1350年は国内の黒死病との戦いに奔走することとなる。

f:id:tsuki_mecha:20200525120930p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑩

ザクセン王フランツ・クサヴァー自身も黒死病に感染したり(奇跡的に回復)、

f:id:tsuki_mecha:20200525121140p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑩

ヨーロッパ共通の国難に向かって他国との協力体制も敷かれた。そんな中、イタリアのアクイレイアで完成したpublic healthの制度は黒死病に対して有効で、次第にザクセン王国内にも浸透しつつあった。

 

1350年

f:id:tsuki_mecha:20200525121610p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑩

新たな制度による衛生面の向上は黒死病の感染を徐々に減らすことに成功し、ついに黒死病の終了を宣言した。これで、3年にわたる国難は多大な犠牲者を出しながらも終わりを迎える。

 

次回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/05/26/075359
 

「優しさ」

 

今の心理的負荷について書きます。備忘録。就活生は見ない方がいいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

もともと私は行きたい企業がそんなになくて、人に聞かれた時は「少ないよ、10社ちょいくらい」って応えてるけど本当は6社(厳密に言うと5社)しか受けていない。

 

でも、そんなに少ないと「絶対増やした方がいい」「それだと危ない」って必ず言われるのでサバ読んで多めに言ってます。それを聞く度に不安になるから。増やした方が良いのは分かるけど、そこで今更増やした業界で働く自分の姿が見えない。一番嫌な就浪を避けるためには意地でも増やすのが良いと思うのだけれど、そんなに多くの企業ごとに志望動機作るほどキャパは無い。

 

逆に言うとその6社はめちゃくちゃ志望動機書けるし、面接でもめちゃくちゃ話せるし、その点ではとても気が楽。でも、常に持ち玉が6という少なさは付きまとう。

 

 

また、就活をしていると企業ごとにリクルーターが付いてくれて、すごく親身になって話を聞いたりアドバイスを下さる。どこの企業の人も丁寧だし、優しいし、面接には活かせるし、良い事尽くめだがその優しさがだんだんと辛くなってくる。

やっぱり6社の中でも志望順位はあるわけで、でもそんなの第2志望以下の企業の人には言えないわけで。「御社が第一志望です!理由は…」って毎回言ってると向こうも凄く乗り気になって話してくれて。その中で自分の志望順位も分からなくなってくる。

企業によっては別の選考ルートに流されて、「君だけはちょっと優位に進むよう言っておいたから」って実際にも言われて、凄く嬉しいんだけどもし第一志望受かったらそこを蹴るんだと思うとかなり心が痛い。

 

正直6社中4社は手応えしかなくて行けそうな気にもなってくるし、その数秒後には持ち玉の少なさからの不安に襲われるし、いっぱい受かっちゃったら蹴りたくないし、、、。という正反対の感情が交互に襲ってくる状況。まぁ多分ここからボトボト落とされるだろうから1社だけ内定取れてそこしか行けないとかの方が心理的によっぽど楽。自慢とか余裕とかじゃないです。分かってくれるとは思いますが。

 

でも、実際にリクルーターが付いてくれたおかげで3月から就活を始めた僕にとってとても良い練習になった。もしそのリクルーターの企業を選ばなくても、そのリクルーターの人それぞれには多大な感謝を送りたいし、その企業に対するポジティブなイメージは一生変わらないと思う。それしか返せないけど、それで良いでしょうか。まぁ、就活ってこんなもんなんでしょうね。

 

リクルーターは就活の相談とかもしてくれるけど、↑こんな内容は流石に話せない。だって、相談に乗ってくれる優しさを否定しているわけになるから。なので、少しでも吐き出そうとここに残しました。

 

EU4戦記 ザクセン編⑨ スヘルテ・デルタ

前回→

tsuki-mecha.hatenablog.com

 

第9代ザクセンヘクトル1世時代。

 

1284年、第2次索丁戦争。敵同盟国フランドル公国との戦争でブレダ要塞を落とし、ブレダザクセンに割譲させザクセンネーデルラントを建設(ブレダの開城)。

f:id:tsuki_mecha:20200524090241p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑨

 

1293年、ユトレヒト司教の要請でフリースラント伯領、フランドル公国に宣戦布告。陸戦は優位に進めていたものの年末に悲劇は起きる。

f:id:tsuki_mecha:20200524090536p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑨

ザクセンロイヤル艦隊肥前は1142年の結成から修復を重ねて150年が経過しており、老朽化も目立った。さらに、たくさんの大型船を有していたことは外海では効果を発揮するが内海では障害となる。ローランド率いるフランドル海軍は肥前艦隊を狭い内海に誘い出し、スヘルテ・デルタの戦いで肥前艦隊を撃破。旗艦「肥前」は撃沈し、艦長フランツ・キルバッハも戦死。海戦は痛すぎる敗北に終わった。

戦後ヘクトル1世は肥前の後継となる新たな旗艦の制作を命じる。

 

1298年

f:id:tsuki_mecha:20200524091530p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑨

第9代ザクセンヘクトル1世は旗艦の完成を見ることなく死去。フリードリヒ・クリスチャン1世が第10代ザクセン王に即位。同年、ボヘミア、イタリア方面の拡張に向けオーストリアと同盟を結んだ。

 

1301年

f:id:tsuki_mecha:20200524091924p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑨

7年の歳月を経て新たな旗艦が完成。名前は「吉野ヶ里」。肥前に代わって活躍してくれることを祈る。

 

1304年、第11代神聖ローマ皇帝アルブレヒト1世死去。同じくホーエンツォレルン公のカシミル1世が第12代神聖ローマ皇帝に即位。

 

1305年、第3次索丁戦争。再びザクセン海軍とフランドル海軍が相まみえることになる。

f:id:tsuki_mecha:20200524093045p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑨

フランドル旗艦グルデンシュポレンスラフ(金拍車の戦い)を第2次スヘルテ・デルタの戦いで撃沈。12年前の艦隊肥前の雪辱を晴らした。ちなみに旗艦名の金拍車の戦いは、フランス軍によるフランドル併合に対抗してフランドル連合軍が立ち上がってこれを破り、フランドルの独立を守った歴史的な戦い。

第3次索丁戦争でザクセンネーデルラントは3州に拡大し、ゴッドランド公国を滅ぼし、ユトランド半島全域を併合した。

f:id:tsuki_mecha:20200524094403p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑨

 

1310年、ユトレヒト司教の再びの参戦要請に応じフリースラント伯領に宣戦布告。フリースラント伯領はウェセックス王系のイングランド王国と同盟を結んでおり、初のイングランド戦でもある。ザクセン人VSザクセン人。

f:id:tsuki_mecha:20200524094826p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑨

イングランドから2州を割譲し、ザクセンイングランド建設。ザクセン・コンクエストはここから始まる。

 

1316年、リッペ辺境伯領、コルヴァイ司教領、マインツ大司教領と戦争。

 

1319年、フランドル戦争。敵同盟国はブラバント公国

戦後、ザクセンネーデルラントは更に拡大。これはユトレヒト司教領の拡大への牽制でもある。

f:id:tsuki_mecha:20200524095323p:plain

EU4戦記 ザクセン編⑨

 

次回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/05/25/121839