EU4戦記 オーストリア編⑦ 黄金時代
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大きな戦争も少ないのでダイジェスト版。
宗教戦争を勝利で飾り、ヨーロッパに敵はいなくなった。前話から続く黄金時代はオーストリアに大きな影響を与えていく。アジア方面の情勢もスペインのコンキスタドールによる情報で明らかになっていき、中央アジアではティムール朝が勢力を誇っているという。
・1605年、オーストリアは大艦隊を完成させ遂に長年対抗していたヴェネツィア共和国を滅ぼした。残るイタリア諸公はフェラーラ公国と教皇領のみ。のち1621年にはフェラーラも滅亡し教皇領を残す全イタリア領土を獲得した。
・1609年には第6次イングランド戦争で敵側同盟国のアヴィニョン司教とコルシカ王国を併合。1531年の第1次イングランド戦争から70年が経っていた。
・1613年
宗教戦争時代より我々から離反し、諸侯の多くを束ねて勢力を伸ばしていたブランデンブルクに懲罰戦争。リューネブルク公国とポメラニア公国を復活させ和平。この後ブランデンブルクの勢力は急速に衰え、再びオーストリアにすり寄ってくるようになる。
・1618年、フランス滅亡。同年、ヴュルテンベルク懲罰戦争。
・1621年、第7次イングランド戦争。
・1626、第5次オスマン十字軍
再びロシアと結んだオスマンだったが、軍質が低く戦闘にめっぽう弱くなっていた。国内では内乱が続いており、かつての属国カラマン侯国もマムルーク朝に滅ぼされ、威勢はどこえへやら。そんな中…
・1628年、偉大なるオーストリア王フランツ1世が死去。宗教戦争を乗り越え46年という長い治世だった。ヨハン・レオポルト1世がオーストリア王、神聖ローマ皇帝を継承。皇帝選挙は次第にオーストリア票が少なくなっており、外交関係の見直しが必要かも。
フランツ1世の頃より継続していたオスマンとの戦争は1629年に講和。再びロシアとの同盟を破棄させ、次なる戦争の布石とした。
・1632年
ヨハンレオポルト1世がわずか5年で死去。息子フランツ2世が神聖ローマ皇帝に選ばれる。フランツ2世が成人するまではスウェーデン王国からきた母ウルリカ・エレオノーラ(スキュッテ家)がオーストリア王代理で摂政を務めることになった。
ウルリカ・エレオノーラは神聖ローマ帝国内での権威増長を目指し外交関係を見直し。これまで帝国外の国と同盟を結んでいたが、これからは帝国内の諸侯と結んで関係を維持していくよう方針を転換した。1444年より不仲であったザクセン選帝侯国との婚姻、同盟を締結させ、ブランデンブルク家とも70年ぶりに婚姻関係を成立させた。
・1633年、ケルン選帝侯国懲罰戦争。
・1637年、第8次イングランド戦争。コロンビア植民地をスペインに割譲させ、植民地国家ヌエバ・グラナダ誕生。
・1640年、第6次オスマン十字軍。黒海沿岸を割譲させ、勢力図はこんな感じ
アルバ、スペインは属国
・1643年、宗教戦争中より続いた黄金時代が終了。この50年が国に齎した恩恵は大きい。翌年1644年から第8代フランツ2世の親政が開始。
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