神聖ローマ帝国史 第1講
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書くと言ってたのに気付いたら4ヶ月経ってました。なかなか忙しかったのと、こんな数百もある国々をどう書けば良いんや!って思ったらなかなかやる気が…。ってかこれ絶対編年体より紀伝体の方が書きやすいんですよね。でも全体の流れ分かりにくくなるから、まぁ上手くやっていけたらいいな。
早速本題。受験世界史内容はグダグダ言っても仕方ないのでサクッと飛ばします。色々あって800年のカールの戴冠を持ってフランク王国ができました。でも、その後の分割相続の結果国は分裂しカロリング家の力は弱まります。んで、レヒフェルトの戦いでマジャル人からキリスト教世界を守った東フランク王オットー1世は962年に戴冠し神聖ローマ帝国が誕生する。
と言ったスタートだけど、何でこの後神聖ローマ帝国が大量の半独立諸侯を生み出したかって、やっぱり元あった大勢力部族をそのままにして緩やかに支配下に入れていったのが良くなかったんじゃないかな。これは王権が強ければ上手く行くけどそうでなければ一瞬で瓦解する。
神聖ローマ帝国形成期、国内には5つの「部族大公」と呼ばれる勢力があった。これはそれぞれの部族をまとめた大勢力で、さっき言った通り征服の過程で滅ぼされず帝国内でしっかりと存在していた。5つの部族大公は1.ザクセン大公、2.フランケン大公、3.ロートリンゲン大公、4.シュヴァーベン大公、5.バイエルン大公。また、神聖ローマ帝国成立前(東フランク王国時代)に成長した6.ゲロ辺境伯領も広大な領土を支配していた(ゲロの死後5つに分裂)。あとは7.ビルング辺境伯領と中世より影響力を持ちフランク王国成立後も公が置かれ残された8.チューリンゲン辺境伯、10世紀から神聖ローマ帝国に忠誠を誓い12世紀末期には領邦となる9.ボヘミア公国。これを合わせると大体神聖ローマ帝国の領地が完成する(ブルゴーニュ、イタリア方面は面倒なので今回省略)。
↑赤が部族大公。青が6.ゲロ辺境伯領(分裂後)。
6.ゲロ辺境伯領は7.ノルトマルク辺境伯領、8.マイセン辺境伯領、9.ツァイツ辺境伯領、10.メルゼブルク辺境伯領、11.オストマルク辺境伯領に分裂。これ見ると辺境伯ってのが確かに辺境に追いやられてるのがよく分かると思う。有名な12.ブランデンブルク辺境伯領はこのノルトマルク辺境伯領の後継的な形で生まれるし、13.オーストリア大公国は南の11.オストマルク辺境伯領と5.バイエルン大公の領土から生まれた14.オーストリア辺境伯領が元になる。
辺境伯は土地的には恵まれてるとは言いづらいけど、何が良いって中央から離れてるから自由が効きやすいってこと。それと、辺境伯は敵国からの襲来に備えて国境を守るための爵位でもあるから、他の諸侯より多くの軍勢を持つことが許されてたりもした。これが後々のオーストリアとプロイセン勃興の遠因になってるかもね。
以上。次いつになるかはちょっと分かりません。