EU4戦記 オーストリア編⑤ スペイン=ハプスブルク家
前回→
オスマン帝国がモスクワ大公国と手を組んだことで東方侵略は一時的にストップし、再びフランス、イングランド征服に乗り出した。フランスは支配下諸侯であったヌヴェール伯国が勢力を伸ばし、またイングランドと同じブリトン人国家ブルターニュも依然健在。他の大国にとられる前にここに狙いを付けた。
しばらくオスマンとの戦争による被害を回復するためおとなしくしていたところ、1545年にカスティーリャ=アラゴン王国はスペイン王国に、1547年にモスクワ大公国はロシア帝国にそれぞれ変態した。
1555年、ブルターニュに宣戦布告。敵側同盟国にイングランドとその同君下位国になったフランス。
この戦いの主な目的はブルターニュの全土併合とグレートブリテン島北部に作った属国アルバ公国の拡大。イングランドを参戦させることが重要だった。
無事ブルターニュ併合。アルバ公国も南進を果たした。イングランドはグレートブリテン島に橋頭堡を築くことができれば楽々。
1558年、デンマーク=スウェーデン王国からスウェーデン王国が独立しようとし、デンマーク王国に宣戦布告。オーストリアも同盟国デンマークに呼ばれたためしぶしぶ参戦。スウェーデン王国の独立を後押ししていたのはロシア帝国であった。
ロシア帝国に対して負けが込んでいた1561年、遂に帝国議会で宗教対立が表面化。宗教戦争が勃発する(史実でいう30年戦争)。神聖ローマ帝国諸侯にとどまらず西洋諸国はカトリック同盟とプロテスタント同盟に分かれ、緩やかな戦争の状態に入る。オーストリアは神聖ローマ皇帝なのでもちろんカトリック側。対するプロテスタント側にはプロテスタントの多い北部諸侯が所属していった。
1562年には100年以上の同盟関係を持ったブランデンブルク辺境伯から同盟破棄と通達。前回でもでてきた通りブランデンブルクの国教はプロテスタントに変更されており、宗教戦争でもプロテスタント同盟に所属。更には盟主として掲げられここにハプスブルク家VSホーエンツォレルン家の構図が完成。やっぱり、こういう運命なのかも。
1563年。スウェーデン独立戦争敗北。デンマーク王国からスウェーデン王国が独立し、デンマーク王国の国力は大幅に削がれた。弱い同盟国を持っても良いことはないので、これは今後の関係見直しが求められる。
その同年
なんと同盟国スペイン王国のトラスタマラ家が断絶し、オーストリアとの同君連合が成立。これはさすがに声出た。こんな大国を一気に手に入れることができるのも婚姻の良いところ。ヨーロッパ領土だけでなく、北米植民地であるヌエバ・エスパーニャも獲得し、一気にオーストリア大公国は世界最大の列強国となった。
だが、これだけの大国を同君下位国として維持するのは難しい。下位国が自国より強いと独立欲求が高まり、50%を超えると先のスウェーデン王国みたいに独立戦争を仕掛けてくる。実際当初の独立欲求は44%でかなり高かった。何とかして自国の拡大が求められた。
翌年1565年イタリア戦争、その翌年ヌヴェール戦争。急いで拡張しなければならないので急ピッチ。ヌヴェール戦争では神聖ローマ帝国のプロテスタント諸侯がついてきたのでそれぞれカトリックに改宗させて講和。ヴュルテンベルク公国からはウルム、アンスバッハ、ラーフェンスブルク諸侯を復活させることで少しでも帝国権威維持に努めた。
1569年第4次イングランド戦争。今回は属国アルバ公国の拡大だけでなく自国の拡大も目標に置いた。
イングランドの首都ロンドンを併合。対岸のカレーも手に入れ、ドーバー海峡の制海権をゆるぎないものとした。その後イングランドの弱体化によって見切りをつけたポルトガル王国とも同盟を結び、ポーランド王国はこれに応じてカトリック同盟に所属。
関係図
敵対したブランデンブルクだが、カトリックが多い選帝侯の中では孤立している。また、同盟国デンマーク王国から離反したスウェーデン王国はカトリックなのでオーストリアとの関係は悪くなく、さらにカトリック同盟にも所属。一方オーストリアへの敵対心を露にするロシア帝国とオスマン帝国はプロテスタントでもないのにプロテスタント同盟に所属した。
1574年、第2次オスマン帝国戦争。この戦争の目的はロシアとの同盟を破棄させることだけなので早々に終了。ロシアとの同盟を破棄させる代わりに10年間の不可侵条約を結んだ。
1577年、第4代目大公フェルディナント1世死去。息子フェルディナント2世が神聖ローマ皇帝位とオーストリア大公を引き継ぐ。更に、同君下位国であったボヘミア王国がオーストリアへの統合を望み、オーストリアは王国として各国に承認されることとなった。
フェルディナント1世の称号
ローマ皇帝、ドイツ王、スペイン王、カスティーリャ王、アラゴン王、レオン王、ナバラ王、シチリア王、ヌエバ・カスティーリャ王、オーストリア大公、シュタイアーマルク公、ケルンテン公、ハンガリー王、ボヘミア王、シレジア公、ブルゴーニュ公、ブルゴーニュ自由伯、ブラバント公、ホラント伯、ヌヴェール伯、フランドル伯
続き→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/04/27/234004