都紀女加王墓前バス停で待つ。

長崎生まれ佐賀育ち 中高福岡大阪在住 完全趣味の自己満足ブログ。 @tsukimecha

まことのバイト録

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中年4人の会話

 

「……で、食っちょったんやけどさ……」

 

私の中のミルクボーイ(九州民、やな。その中でも大分か宮崎、日豊あたりか。)

 

「でも……で、………やねん。」

 

私の心の中のミルクボーイ(ほな九州民と違うかー。)

 

「……、……せんばいかんとよ!!」

 

私の中のミルクボーイ(九州民やないかい!しかもうちと同じ博多弁クライスや!九州民確定やこんなもん!)

 

「………マクドは…………」

 

私の中のミルクボーイ(九州民と違うかー。)

吉野ヶ里牟田の憂鬱

 

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はぁ……期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論………ぽ……期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論………け……期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………恋愛………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………立命………就活………卒論……も………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………主務………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論………ん……期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論……………期末………就活………卒論………

 

 

 

 

 

……!

 

 

 

……………!!!

 

 

 

 

テッテレ〜〜〜!!!!!!!!!!

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アウト〜!!!!

 

 

佐賀戦国史⑥ 運命の沖田畷

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↑全く関係ない嵐山の写真。

 

前回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2019/12/17/223915

 

龍造寺家は全盛を誇りながらも、主君†隆信†の非道さや残忍さが次第に領内に不穏を募らせる。だが、これを少しでも抑えて領内の治安を維持できたのは名将鍋島直茂のおかげだ。義兄弟という近しい間柄から†隆信†への発言力もあり、†隆信†に反感を持つ家臣たちを宥めたりしてまとめ上げるなど家臣の中でも信頼が厚い。龍造寺家に無くてはならない存在だったと言える。この活躍が後に「化け猫騒動」と言われる一連の事件がスムーズに行われる理由になっていく。

しかし、「5島2州の太守」となった†隆信†は次第に傲慢になっており、直茂の意見も聞かなくなっていった。それどころか、うるさい存在だと邪魔に感じ、直茂を自城から遠ざけるようになってしまった。

 

ち・な・み・に信長の野望 DS2 では、「群雄争覇」というモードで龍造寺軍と戦うことができる。龍造寺軍は大軍で兵も強く直接戦うと勝ち目がないが、後方の鍋島直茂の1隊を撃破すると途端に統率が瓦解し士気が大幅ダウン。最後には離散していくという、この龍造寺家の実情をよく表したモードとなっていた。

 

1582年。中央では本能寺の変がおこり、山崎の戦いで†羽柴秀吉†が台頭するなど大きな動きがあったが九州では膠着状態が続く。しかし水面下で†島津義久†は残る最後の敵†龍造寺隆信†を滅ぼすために動いていた。

 

膠着状態を動かしたのは翌年1583年。島原の有馬晴信がふいに龍造寺に反旗を翻し島津と内通。この時は大きな争いを産まなかったものの翌年1584年に†有馬晴信†は公然と旧領回復のため侵攻。†怒った†隆信†は5万6千とも号す大軍で†晴信†のいる島原へ向かった。

 

有馬晴信†は†島津義久†に援軍を求める。しかし、†島津義久†は未だ肥後を抑えて間も無く、大軍を動かすと甲斐宗運阿蘇家の旧臣が離反する恐れもあった。そのため、援軍には約5千の兵しか送ることができない。†義久†は弟島津家久を大将にして天草から島原に渡らせた。

 

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島津家久。超優秀。早世が悔やまれる。

 

島津、有馬連合軍の何倍もの軍を率いる†隆信†は負ける気などなく、ぐんぐん侵攻。鍋島直茂もこの戦に呼ばれ、「島津を侮るなかれ」と何度も忠告したものの聞く耳を持たない。

島津の本隊と接触した龍造寺軍は戦闘を開始。島津軍は龍造寺軍の勢いに押されて退却。†隆信†は追撃を命じる。しばらく追いかけていると島津軍の伏兵に遭う。逃げていた島津軍も反転し龍造寺軍に攻撃。先頭の龍造寺軍は一旦退こうとするも身動きが取れない。そこは「沖田畷」と呼ばれる沼に囲まれた地形で、唯一の平坦な道も2、3人がやっと通れるくらいの細さであった。

後方の龍造寺軍は先鋒が伏兵に遭っていることも知らず、ただ†隆信†の追撃命令に従って進む。†隆信†の残忍さは将兵らにも聞こえており、勝手に退却したら命はない。何があっても進むしかなかった。

続々と現れる龍造寺軍を身動きが取れない沼田で殲滅していく島津軍。†隆信†本人も沖田畷までさしかかってやっとこの惨劇を知る。†隆信†の乗る輿にも島津軍が迫り、龍造寺四天王と呼ばれた勇将らが†隆信†を逃がそうと奮戦するも輿持ちの兵は撃たれ†隆信†は沼田に放り出された。そして、念仏を唱えながら身動き取れず這っているところを島津家久家臣、川上忠堅によって討ち取られた。

 

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↑見えにくいけど画像の中心にある矢印あたりが沖田畷

 

これが沖田畷の戦いである。この戦いで龍造寺四天王全員を始め多くの武将が戦死。兵の大半も失う。鍋島直茂は†隆信†に殉じようとするも家臣に止められ、残存兵力をまとめ上げて佐賀に帰った。

 

島津軍の得意戦術、「釣り野伏」の極意がこの戦いにある。大名自身が敵兵によって討ち死にするのは桶狭間の戦い沖田畷の戦いくらいじゃないかな?

 

〜次回予告〜

中央では豊臣秀吉が天下統一に乗り出し、その波は未だ戦後の混乱冷めやまぬ九州にも拡がる。その中で新たな佐賀の時代が作られようとしていた。

次回、九州統一

 

 

 

 

 

タクトコンタ

 

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ソフトのコンタクトを付け始めました。コンタクト恐怖症の私でしたがソフトってほんと、ハードと違って楽ですね。

 

私が初めてコンタクトを付け始めたのは浪人期。浪人期は頭おかしくなってたからなんかメガネからコンタクトに変えたくなった。浪人期は朝6時ごろに家を出て、帰ってくるのは11時ごろだったからソフトだと使用時間持たないし、ハードを買うことにした。

 

「初めてハードを付けるのはかなりハードですよ(ハードだけに)」って眼科医に言われたけど無視してハードを買った。浪人期は頭おかしくなってたので。

付けてみる。まーーーーじで地獄。髪の毛が10本くらい常に目に挟まってる感覚。大量の砂が眼球に付着してる感覚。瞬きするたびに眼球が擦られる感覚。

1日目。実家の最寄駅から予備校がある博多駅までの電車が私の睡眠不足を解消する唯一の時間だったのに、目を閉じれないから眠れなくなった。痛くて涙が出て止まないので、神ゲー†パズル&ドラゴンズ†を泣きながらやってた。私のパズルで溶けていく敵キャラを涙で見送る、優しさの塊。

 

予備校の授業中も泣き続けたので国語の教師に〇〇さん、大丈夫ですか??って聞かれた。大丈夫な訳ないじゃん。家に帰って速攻で外した。いずれ慣れる、そう思っていた。

 

2日目。昨日と同じで泣きながらパズドラをして博多駅へ。博多駅着いた途端コンタクトがズレて視界に境界線が現れる。私はパニックになってトイレに駆け込み洗面台で悪戦苦闘。授業を初めて飛んだ。思えばこれがなかったら私は大学で授業を飛ぶなんてことをしなかったのかもしれない。

 

3日目。朝。コンタクトが目につかない。付けようとしても目が恐怖で閉じる。何回もコンタクトを落とし、何回も洗い、何回も試したけどダメ。遅れそうだったからメガネで家を出た。

 

幸せ、がそこにはあった。瞬きが苦痛じゃない。眠れる。涙は出ない。すまんな、メガネ。小4から約10年の付き合いで忘れていたけど、お前はこんなに私に尽くしてくれていたんだな。失って気づく大切さ。そんなことよりコンタクトのクソ野郎、3万円返せ。

 

という過去があって現在。ソフトってマージで付けてる感覚ない。いや、先言ってよ。言われてたけど。でもバイト先の先輩にメガネの方が良いって言われたからやっぱメガネなんかなーって思ったり。

ゆめにっき④ 2020初明晰夢

新年早々はっきりした明晰夢を見たので記録。

 

私の明晰夢について→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2019/01/06/001554

B'z→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2019/07/05/233927

死んだ祖母と再会した時→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2019/04/02/130138

 

バイト先の社員さんとカラオケ行って終電で帰って1時半ごろ就寝した時に見た夢だ。

 

〜以下夢世界〜

私は電車に乗っていて、どうやら寝落ちしてしまったらしい。「まもなく高槻」のアナウンスがかかる。高槻は私の降りる茨木駅の3つ先で、終電だと戻ることができない。やってしまった、と思ったと同時に先程しっかり終電で家に帰ったことを思い出す。

つまりこれは夢だ。明晰夢。久々の明晰夢だったのでテンション上がった。

 

明晰夢を見慣れてる人ならわかると思うけど、夢世界の中で自分の意識を強く持ちすぎると現実世界の身体ごと目覚めちゃうんだよね。それだと面白くないから、気怠そうな、眠そうな感じの意識を持ち続けないと夢世界ではいっぱい動けない(私だけかも)。とりあえず、高槻駅で降りてみることにした。

 

実際に高槻駅の改札口を出たことはない。だから、これが初めて。風景はいたって普通の深夜の駅。お客さんもたくさんいる。私は右眼を開くと身体が目覚めるような気がしたので、左眼だけ開けて歩いていた。実際にいたら変人でしかないけどここは私の夢世界だから知ったこっちゃない。

改札を出ると目に入ったのは日本庭園みたいな風景。池があり、水路があり、小高い丘や橋が整備されている。実際にも見たことがないような、初めての景色。数ヶ月前に行った岡山の後楽園に雰囲気は似ていたけどそれとは違う。基本夢の中の景色は私の経験してきた記憶から作られるのだけれど、これは初めての景色だった。

 

私はスマホでこの景色の写真を何枚か撮った。撮ってるうちに目が覚めた。

 

時間は朝3時。スマホを取り出して写真を見返すと、あった。夢の中で撮った写真。でも、真ん中に太い線が入って下は砂嵐、上は横線が何本も入ったノイズのようになってて何も見えない。背筋が凍った。

 

ここでまた目が覚めた。↑は夢の中でまだ夢を見ていた。

(BGM:♪夢の中で 夢を消された oh no! oh no! 憐れな  worker bee♫  「working man」by boowy

 

〜ここから現実〜

時間は朝4時20分。画像フォルダを開いても写真は1枚もない。逆に安心したよ。

その日は名古屋に日帰りで旅行したんだけど、ついでに高槻通るから改札出て景色を見てみた。もちろん、庭園なんてない普通の街並みだった。あの景色はどこから与えられたものなのか気になる。

 

 

 

日本神話学 外伝 鵜戸神宮

宮崎に帰省したついでに鵜戸神宮にも行ってきました。

 

混乱しないように通し番号つけてます。

 

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鵜戸神宮には神武天皇の父、①アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトが祀られている。

 

この神の名前はどんなものかと言うと、昔は奥さんが妊娠したら夫は産屋を建てんといかんかった。①ウガヤフキアエズの父②ホオリノミコトは、奥さんの③トヨタマヒメの妊娠が発覚して産屋を建て始めるけど、屋根にう(鸕鷀)の羽をふき終わる前に産まれちゃったから①鸕鷀草葺不合尊って表記する。

 

その産屋の跡地が鵜戸神宮らしい。③トヨタマヒメは出産の際夫の②ホオリに「覗くなよ!覗くなよ!絶対覗くなよ!!」って言って、②ホオリはこれを前フリだと受け取って(嘘)覗いたら③トヨタマヒメはワニの姿になって出産していた。③トヨタマヒメの父は海の神、④ワタツミノオオカミだったのだ。

 

あれは前フリじゃなかったらしく、③トヨタマヒメは激怒して産んだ子供(①フキアエズ)を渚に捨てて海に帰った。でも、これでは母乳をあげる母がいなくなるから片乳を置いていった。これが乳岩として洞窟内に残っている。

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↑暗くて見えないけど中に乳岩がある。CZカップくらいあったよ(エクセル列表記)。

 

他にも神武天皇の兄であり①フキアエズの息子である⑤イツセノミコトを祀る社もあった。人間に殺される天孫族ってこの⑤イツセが初めてじゃないかな?ナガスネヒコは相当強かったってことか。

 

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海も綺麗で近くには鬼の洗濯岩もあるしモアイもいるしとても良い神社だった。ただ交通アクセスが悪く道が細いのが難点。離合できずに何度も苦労した。「離合」って方言らしいですよ。

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鵜戸神宮御朱印(上)。下は天橋立の元伊勢宮。

 

2019

あけましておめでとうございます。

帰省していたので久々の投稿です。

 

2019年は特に何もなかった。ただ、家族で帰省して久々に祖父母に会いに行けたのは良かった。多分小学校以来?かな。

 

「反抗期」というものはほとんどみんな経験するものだと思う。でも、中坊時代私は「反抗期」がダサいと思っていたので、私に反抗期はなかった(と思っていた)。

ただ、親と出かけるとか、買い物に行くとか、そういったことに着いていくのは嫌になった。小学校の頃は夏休みや春休みに決まって宮崎の祖父母の実家に帰省したり、阿蘇や別府や霧島といった九州各地に家族で泊まりがけで行ったりしてたのだけど。

家族も旅行に行くことが無くなった。提案もしなくなった。提案してくれたところでその頃の私は付いて行かなかったと思う。妹はしきりにどこそこへ行きたいって言ってた気がする。両親は私に気を遣ってくれてたんだなぁ。多分その他の面でも私が反抗しないで済むように動いてくれてたんだと思う。私に反抗期がなかったのは周りのおかげだ。

中3で初めて失恋を経験して、私は一つ大人になった。その2ヶ月後に家族でユニバに行った。「これが家族で旅行に行ける最後かもしれんから」と父親は言っていた。妹ももう小6になっていた。

間もなく妹の壮絶な反抗期も始まり、私は寮に入り、親との接点も減った。週末に基本寮生はみんな実家に帰るのだけれど私は帰らなかった。特に帰る意味も感じてなかった。成績は下がり勉強する気も起きなかった。最初は成績のことでよく親に怒られたけど親も何も言わなくなった。私は腐っていった。中3で大人になったと思ったのにまだまだ餓鬼だった。

 

そのまま浪人。浪人期の話は何回もしたので割愛するけど、この期間のおかげで親のあらゆる面への気遣いに気付けて長い反抗期から抜け出した。妹も落ち着いて去年の夏やっと宮崎に帰れた。わずか4ヶ月後(つい先日)にまた宮崎に帰った。2019はそんな年。

ち・な・み・に中3でユニバに行った時、当時佐賀になかったサイゼリヤに感動して夕飯そこで食べた。2019はアホみたいにユニバに行った年でもあるのだけれど、その時のサイゼリヤがまだ同じ場所にあって行くたびに思い出す。母へ、あなたが酔い潰れたバックトゥザフューチャーは今ミニオンになっています。