CK2戦記アイルランド編⑥神聖ローマ帝国の成立
前回→
領土も広大となり、こちらから軍隊を動かさなくても諸侯が勝手に領土拡張をしてくれるようになった。イベリア半島へはアキテーヌ総督とアウストラシア総督、ルーシ諸国へはパンノニア総督とカザリア総督、シリアへはエルサレム総督とグルジア総督、アフリカへはエジプト総督とシチリア総督が侵攻を繰り返していた。こうするとそれぞれの諸侯が力を持ちすぎることがあり、ある時には主君である皇帝への反旗を翻そうとする輩も出てくる。こういう時は金や称号を与えて懐柔するか暗殺するか。後半は諸侯の統一が一番大事になって来る。
さらに教皇との関係も悪化。何度も破門をくらい、その度に雪の中3日間門の前で跪くことになる。
1191年、ドイツ王国を復興。
1193年、ザクセン王位を簒奪。これでドイツに残る王も全てが支配下に入った。
1194年、エジプト総督配下のアレクサンドリア公カインゼルヴァーンがヌビア遠征を成功させヌビア王位を獲得。
1198年、マジャール王国を創設。
1199年、ワラキア王国を創設。同年、ナバラ王国を創設。アキテーヌ・アウストラシア総督連合によるレコンキスタは順調に進んでいた。
1203年、イタリア帝国を創設。同時に神聖ローマ帝国形成の条件を達成したため、神聖ローマ皇帝にも即位。
…ですが神聖ローマ皇帝は選挙制なので、我がエオーガナフド・ロハ・レーン朝の下に帝冠が留まるとは限らないんですよね。なので今回はアルバ帝国のまま進めます。
1214年、東方より使者が到着。大陸の遥か東でモンゴル帝国が勃興したという。ラスボスの足音が迫る。。。
次回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2021/01/26/195748
ゆめにっき⑦ 寮
前回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2020/08/11/084305
①実家の私の部屋にいました。実際の私の向かいの家は別の人の家なんですが、夢の中では私の家の離れ?みたいになっていてその窓から妹がこちらを覗いているのが見えた。で、ふと目線を逸らした後再びそちらを覗いたら次は私の隣部屋の妹の部屋に妹が瞬間移動していた。
私「いつの間にこっち来たん!?」
妹「さっきシレっと来た」
ここで一旦途切れる。
②次は私の実家の居間で私の家族と宮崎の叔母と祖母の計6人で鍋を囲んでいた。いつもは父が鍋奉行なのだが、夢の中では酔いまくった母が鍋をよそっていた。家族で麻雀をする話になったが、牌がないのでアプリでやろうってなった。この話に入れない祖母がずっと私の肩を揉んでくれていたが、これがめちゃくちゃ気持ち良い。
ここで一旦途切れる。
③次はこの6人で居酒屋にいた。店の内装的に今まで行ったことのないお店。暗めの雰囲気。瓦そばに似たメニューが机の上にあったのを覚えている。途中で私がお手洗いに行って席に戻ったらすでにみんな店を出て駐車場に向かっていた。
私「もう会計済んだん?母(アルコール未摂取)が運転すると?」
父「いや、俺が運転する」
私「酒飲んどるっちゃけん、そいはいかんよ。」
ここで一旦途切れる。
④〜点呼でーす。廊下に出て下さい。〜
朝点呼のアナウンスが入る。高校寮の毎朝の恒例行事。
寮監「はい点呼ー。おはようございますー(私の部屋の扉を開けながら)」
私「…おあようございます……(眠い目を擦りながら)」
寮監「はい、今日は布団乾燥やからこれね(紐を渡してきた)。いつもは食堂の机に置いとるけど、今日は結露しとるから。」
※ちなみに布団乾燥の行事は実際にも定期的にあったが、紐で括る必要はない。
ここでやっと気付いた。あ、これ夢だって。そして、今までの①〜④が夢だったとここになってようやく気付く。部屋の場所的に高3の頃だが、何故か1人部屋じゃなくて相部屋。隣では友人Mが既に学ランを着て準備万端である(実際Mと同じ部屋になったことはない)。
M「○◯(私の名前)〜はよ飯行くぞー」
私「うんうん、ちょ待って、今完全に目覚ますと終わっちゃう。これは僕の夢の世界やっちゃん。」
M「何を言っとんや笑」
隣部屋から友人Sもやって来る。
S「飯行かんの?」
M「◯◯がまだ起きんっちゃん。」
私「起きたら終わるんよ、ほんと。夢の世界やから。」
2人はもっと笑い出す。
M「早よ行くぞ」と言って私の身体を引っ張る。
目が覚めた(現実)。
今回は4つのシチュエーションが連続しましたが、7時30分に朝飯食べた後2度寝して起きたら未だ8時半とかだったんですよね。だから、わずか1時間のうちに怒涛に夢を見ていたことになる。ち・な・み・に明晰夢見るとめちゃ頭が疲れるんですよね。
吉野ヶ里町 移住のすゝめ
前回のグルメ記事が、誰かリンクを張ってくれたのか知らないけどかなりたくさんの人に見てもらえたんですよね~ありがたい。この流れでうちの町の宣伝すればたくさんの人が見てくれるんでは…?という短絡的思考の元この記事を書いています。タグもめっちゃ付けます。ラーメンタグはやりすぎですね。
吉野ヶ里町は私の実家があるふるさとです。
人口減少が騒がれる中、佐賀県で人口が伸びている市町が2つあるんですが、それが鳥栖市とこの吉野ヶ里町。増加率は吉野ヶ里町の方が上なんじゃないかな?詳しく調べれば分かりますが、卒論提出したての今新たに統計を見たくないので気になったら自分で調べてください。
では、吉野ヶ里町に住むことのメリットを並べていきます。
・店の充実
数年前まで吉野ヶ里町内には大きなショッピング店がなく、その大部分を隣町上峰町のSATY(ショッピングモール)に依存していました。しかし、ここ数年で田手地区に「吉野ヶ里モール」が形成され、モリナガやケンタッキー、マックなどが軒を連ねています。もちろん古くからあるアスタラビスタやフルカワといった全国的にも有名な店も存続しています。その結果と言っては何ですが上峰町のSATYは一昨年閉店しちゃいました。正月の福袋の時大勢のママさんが開店と同時に一斉に走り出したあの頃の勢いが懐かしいですな(https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2019/03/03/212105)今も上峰町にはトライアルなどのお店は残っているのでそこまで足を延ばすのも良いでしょう。
飯どころも豊富で、チェーン店の大砲ラーメンや佐賀では有名な大久ラーメン、絶対に外せないどん亭、八蔵などなど。小学校前のジョイフルは最近閉店しちゃいましたがまだまだ行けるところはたくさんあります。三田川ホルモンっていうお肉屋も人気でよく行列ができていますね。
コンビニもファミマ、ミニストップ、ローソン、セブンイレブン、全部あります。その日に食べたいチキンの種類でコンビニを選ぶことができます。
・教育機関の充実
吉野ヶ里町には南北に2つの小学校があり、遠いところだとコミュニティバスが送り迎えしてくれます(三田川小学校の話。私が小4くらいの時にできた。それまでは新宮田地区の子とかは約3㎞近く歩いて通っていた。超ローカルな話ですみません)。幼稚園や保育園も割とあります。家族で引っ越すにはちょうど良いでしょう。
・アクセスの便利さ
佐賀県の県庁所在地である佐賀市、サガン鳥栖の本拠地である鳥栖市、とんこつラーメン発祥の地久留米(こんなこと言ったら博多民に消される)まで車で30分もかからないくらいの場所に位置し、それぞれの方向へ西鉄バス路線も走っています。更には吉野ヶ里町唯一の駅である吉野ヶ里公園駅はなんと特急も止まり、博多まで30分で着きます(※……1日1本のみ………………)。中高生や会社員が通勤や通学しやすいのもこの町の強みでしょう。実は脊振山地を挟むと福岡県福岡市に接しており、車で1時間もかからない程度で福岡の都心にも行けます。この間を車で通勤している人も少なくありません。
・自然
さんざんお店とかを列挙しましたが、それらはだいたい国道34号線沿いか北の川久保線の大通りに集結してるんです。逆を言うと、その通りから外れるとすぐに一面の田園風景に出たり、山道に出たりします。のどかで美しい自然も楽しめます。歩いていてすごく落ち着くし、とても良い空気が流れていますよ。
↑今日の吉野ヶ里。めちゃのどかだけど、これ駅から100mくらいしか離れてません。
道の駅さざんか千坊館や、最近できた麦米(ばくべい)には地元で採れた野菜が販売してあります。さらに、町内の山茶花の湯と卑弥呼の湯という2つの温泉も心を癒してくれます。山茶花の湯の露天風呂から見える景色は絶景で一度は行ってみてほしいですね。
・そこそこの遊び場
まあ正直吉野ヶ里町で遊ぶ場って言われるとそんなにないです。コロッケ俱楽部っているカラオケ店くらい。遊び場を無くした若者が行く当てもなくマックでポテトだけ頼んで何時間も駄弁っているような感じです。大抵電車で佐賀か鳥栖に出かけますね。そこに行ったところで特に何もないですが(笑)。佐賀ゆめタウンでデートしてる人たちって何回もそこに行って楽しいのかな。
小さな子供連れだったら吉野ヶ里公園内の遊具とかで一緒に遊ぶのも良いですね。吉野ヶ里公園は遺跡の展示だけじゃなくてそういった子供向けの遊具や広場もあります。私は大きな子供なので未だにあのバカでかトランポリンで小っちゃい子に混ざってわいわいしたいなと思っています。
以上。今回は「住みやすさ」だけをメインに書きました。私が大好きな吉野ヶ里の歴史とかここで話しても、「こんなやついるならうるさそうだし辞めとくか」って逆効果になりそうなので。吉野ヶ里町、一言で言うなら「便利すぎる田舎」って感じです。吉野ヶ里公園のイメージが強いですが、ここは「遊びに行く」ってより「住む」って方が合っていると思います。
マジで美味い帰省時グルメ
今回は私が帰省した時に家族でよく行くご飯どころを紹介(佐賀東部)。咄嗟に思いついたので写真とかありません。是非その足で来店して確かめてください。ここに行けば間違いありません。
・フレンズ
鳥栖にあるハンバーグ屋。安くて美味い。上に乗ってる目玉焼きがトロトロでこりゃまたたまらない。欠点は駐車場が少ないとこと、筑紫野バイパスからどこで曲がるかが分かりにくいところ。電力会社に勤める父が近くの電柱を整備したらしく、いつも誇らしげにそこを見つめている。
・たかひら
みやき町にあるハンバーグ&ステーキ店。ここはメインはもちろんのこと、セットでつけられるサラダがまじで美味い。あのサラダ、本気で無限に食べれそう。店員のおばちゃんに覚えられるほど家族で通いまくっている。
・天ぷらまき
鳥栖にある天ぷら屋。目の前で揚げてくれて、出来上がった瞬間手元にダイレクトに運んでくれる。塩辛も美味い。長年ホールで働いていた若い男の子が最近は揚げる側(年齢層高めのベテランだらけ)になっていて、やっと認められたんだろなぁと思った。
福岡にあるチェーン店が最近鳥栖に出来た。ラーメン好きなら一度は行って欲しい。肉とラーメンの味が合わさってとにかく美味い。店員もみんな活気が良くて気持ちが良い。
・富松うなぎ屋
福岡県の大善寺にあるけど、吉野ヶ里からは近い。うなぎ食べるんだったらここしか考えられない。昼は予約できないのでめちゃ並ぶ。あと、駐車場に入るのが難しい。亡き祖父の代から通っているらしく、家族3代に亘る常連。
CK2戦記アイルランド編⑤フランク帝位復活
前回→
ビザンツ帝国を獲得し大量の家臣を得た。だが、そのほとんどが正教徒であり多くはアルバ帝国による統治に不満を持っていた。ビザンツ帝国の継承法はアルバ帝国とは違い選挙制であり、ビザンツ帝国の総督達はドゥーカス朝の末裔を次の候補に挙げた。これに対抗してエオーガナフド・ロハ・レーン朝での継承を成功させるべくビザンツ皇帝位を廃止し、新たにラテン皇帝として再編。これによりビザンツ帝国の継承法は通用しなくなり、アルバ帝国と同じ長子単独相続制に統一された。
ビザンツ帝国の旧臣達との宥和を図りながら旧臣の請求権を利用して領土拡大に努める。
1118年、アキテーヌ王位を獲得。アキテーヌ王国は幾度となく十字軍遠征の対象地となっており、988年の第3回十字軍でバダホス朝を追い出して建国されたものである。
1126年、ブルグント王国からオーヴェルニュ公爵領を獲得。
1130年、セルビア王位を簒奪。セルビア王国はクロアチア王も兼ねていたので、同時にクロアチア王位も得た。
1138年、デンマーク王国を併合。
1142年、パンノニア王国を併合。当時の勢力図
ササナ総督の活躍でブリテン島は統一された。さらにエジプト総督はエチオピア方面まで勢力を拡大。デンマーク総督はアルバ総督と協力してスカンジナビア半島統一に乗り出した。東では遊牧民国家トゥランが急速に勢力を拡大。ルーシ諸国が緩衝国となっている。
1159年、アウストラシア王国を併合
1162年、カルパチア皇帝に即位。
1166年、ロンバルディア継承戦争勃発。
資金が尽きたため傭兵は雇えず、配下の封臣を動員しての戦争。皇帝直属軍に加えてフランス総督、アキテーヌ総督、シチリア総督の軍勢で一気に包囲。
翌年、ロンバルディア王位を簒奪。ここからイタリア王という称号に変更される。
1179年、ブルグント王国を併合。
同年にポントス皇帝に即位し、さらにかつて1人だけに存在した伝説の称号であるフランク皇帝の称号を復活させた。
その一人は751年に即位したピピン3世(小ピピン)。「ピピンの寄進」でも知られる人物。実に400年以上ぶりの戴冠となった。
鉄槌王ブラスマクの称号
「ブラスマク、神の恩寵によるローマ皇帝、崇高なる尊厳者、アルバ皇帝、ラテン皇帝、カルパチア皇帝、ポントス皇帝、フランク皇帝、エーレ王、アルバ王、ウラタン・ウァグ王、ササナ王、フランス王、ウリターン王、バイエルン王、エジプト王、アラニア王、トレビゾンド王、エピロス王、クリミア王、トラキア王、ギリシア王、シチリア王、カザリア王、アナトリア王、ブルガリア王、クロアチア王、セルビア王、アキテーヌ王、パンノニア王、デンマーク王、ポメラニア王、チューリンギア王、フリジア王、アウストラシア王、イタリア王、エルサレム王、フランコニア王、ブルグント王、フランク王、アンジュー公、ブロワ公、パリ伯。」
次回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2021/01/17/221555
CK2戦記アイルランド編➃世界帝国への道
前回→
アルバ皇帝のエオーガナフド・ロハ・レーン朝は婚姻相手に悩んでいた。というのも、同じ身分の家系と婚姻しなければ貴賤結婚となり、威信が下がってしまうからだ。皇帝位を持つ家系はうちとビザンツ皇帝家のドゥーカス家しかない。アルバ帝国とビザンツ帝国は歴代に渡って婚姻を続けたが、カトリックであるアルバと正教会であるビザンツの間で揉め事が絶えなかった。
ブリテン島統一はササナ総督に一任し、自分は大陸領土に支配を広げる。
ピカルディ公爵領、アンジュー公爵領を獲得し1082年にオルレアン伯ジェローからフランス王位を簒奪。5つ目の王位を獲得。
さらに1092年、ブルターニュにウリターン王位を創設。6つ目。
1093年の地図
強敵は南フランスのブルグント王国、ロタリンギアのアウストラシア王国、イタリアのロンバルディア王国、ドイツのザクセン王国(封建制を導入)とパンノニア王国。
1095年、エジプト奪還のため第6回十字軍発令。偶然にも史実のクレルモン宗教会議と同じ年。
十字軍中にスラブ宗教の手に落ちたバイエルン王位を簒奪。7つ目。
1104年、第6回十字軍は成功し、時のアルバ皇帝アルフの姉マウザが十字軍国家エジプト王に即位。
そしてエジプト王国の継承者はなんとアルバ皇帝アルフ。マウザに子供ができる前になんとしても手を打つ必要がある。。。
同年、マウザは不審死。アルフによる暗殺が成功したのである。戦争なしにエジプト王位を継承。8つ目。
エジプト王国には十字軍の成果で莫大なお金があったらしく、それらも全て獲。超富裕国家になる。
1109年、ボヘミア王位設立。9つ目。
同年、長年ドゥーカス家と婚姻を結んでいたところ、ついにアルフにビザンツ皇帝の継承権が舞い込んできた。このチャンスを見逃さず即座に宣戦布告。
エジプト王国継承で得た莫大な資金を湯水のように使い大量の傭兵を持ってビザンツ帝国に侵攻。戦いは2年に及び、最終的にビザンツ皇帝テオドロス2世は降伏。エオーガナフド・ロハ・レーン朝はビザンツ皇帝位をも獲得した。
ビザンツ帝国を得たことにより、大量の王位も同時に獲得。大陸支配の大きな進展となった。さらに、5世紀からムウ部族(アルバ帝国の前身、エーレ王国の前身の民族)の首都であったトゥアンからパリに遷都。
アルフの称号
「アルフ、神の恩寵によるローマ皇帝、崇高なる尊厳者、エーレ王、アルバ王、ウラタン・ウァグ王、ササナ王、フランス王、ウリターン王、バイエルン王、エジプト王、アラニア王、トレビゾンド王、エピロス王、クリミア王、トラキア王、ギリシア王、シチリア王、カザリア王、アナトリア王、ブルガリア王、クロアチア王、アンジュー公、ブロワ公、パリ伯。」
次回→https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2021/01/06/000035
2020
最悪な年でしたね。引退試合無くなったので。部員として3年、主将として1年、自分なりに色々考えて頑張ったつもりだったのでそれがおじゃんになったのは耐え難い。
ネチネチ言うのは嫌いだけどこれは一生付き纏うんやろなぁ。
まぁ結局今の現状を鑑みるに当時の規制の判断は妥当だったのだろうけど、無慈悲に試合が消えていったことに対して吐き出し場のない蟠りが自分の中にめちゃんこ溜まっていくのが分かった。
「コロナなのはみんな一緒やからしょうがない」とかよく言われるのにも腹立ったね。私も話を終わらせるためにこの文言はよく使ってたけど。コロナで消えた、世間一般的な時間軸上では同じ場所にある「期間」は、それぞれ個人の人生の時間軸上では全く異なる場所にあるわけで。何が「一緒」じゃボケって感じ。
もちろん今年一年良いことも色々ありました。来年もしばらくこの絶望的な状況は続くと思うので、その中で小さな喜びを探して行きたいですね。