宮崎道中
母方の実家がある宮崎に帰省していました。
父の運転で。気付けば家族で車が運転できないのが私だけになっていた。
宮崎市内を走行中、運転していた父が急に「あっ、 あいはいかん。」と声を出して車を停めました。
家族みんな「どうしたと?」って感じの中父は電柱の上の方を指差し「あそこが曲がっとるのは良くない」と言いました。
よーく見ると確かに電柱が少し変になってましたが普通そんな上の方見てないしなにより父は運転に集中してたはず。
「職業柄自然に目につく」といって宮崎の電力事務所に連絡をいれました。
後にそこから電話で感謝の言葉が来ました。停電寸前だったらしい。
電力会社勤務の父のカッコいいところを見ました。
日本神話学① 天地開闢
以前10分で分かる日本神話みたいなのを書いたと思うので今回からはそれを深堀りしていこうかなと
https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2019/06/27/200340
①天地開闢
この世がまだ天と地も別れていない混沌だったとき、急にポン!って神が現れて天と地が別れた。アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒ。この3柱を「造化三神」と言う。すぐに消えちゃうけどね。
その後またポン!って2柱、ウマシアシカビヒコヂとアメノトコタチが現れてまた姿を消した。ここまでの計5柱を「別天津神(ことあまつかみ)」って言って、神の中でも最上位のすごーい神様達。
その後「神代七代」が独身だったりカップルだったりで登場してこの最後に現れたのがイザナギとイザナミ。ストーリーはこの2神を中心に進んで行く。
ここまでは以前書いた通り。先に出た造化三神は性別も持たず、姿も見えない。明治時代にはアメノミナカヌシは鎧を着た武人、タカミムスヒノカミとカミムスヒノカミは白服を着た男の人みたいに描かれる。日本神話に出てくる神ってほとんどが人と同じ形をしてるようにイメージされてるけど、あのイメージは明治時代にそれぞれの神をビジュアル化した時に生まれたものであって、古事記完成時にはどう言ったものを意識したのかは分からない。まぁ日本神話内の暇を持て余した神々の遊びは人間味ありすぎるからもとから人と同じように表されたのかもしれないけど。
アメノミナカヌシは一番最初だからそれはもうドヤバイ神。神ってだいたい神格がある。有名どころだとアマテラス=太陽、イザナミ=安産、コトシロヌシ=商売繁盛みたいに。アメノミナカヌシは「宇宙創造を根底で守る力」。いやもうヤバイでしょ。誰が進んで信仰するんだ。アメノミナカヌシが見守り、タカミムスヒとカミムスヒノが創造する。「ムス」は産巣と書いて創造を意味する。
その後のウマシアシカビヒコヂとアメノトコタチはマジで出てきて消えただけだから覚えなくていい。ウマシが先かアメノトコが先かとか、アメノトコタチはアメノミナカヌシと同一だとか色々あるけどあんま物語に関係ない。アメノトコタチって名前から分かる通り、この神の誕生は高天原で立てるようになった=生活できるようになったことを表す。ここまでが別天津神ね。
そして神代七代の時代に入る。最初はクニノトコタチ。クニ=地上=葦原中国。この神の誕生は天に続き地上も生活できるようになったことを表す。アメノトコタチは別天津神なのにクニノトコタチはそうではないところに天と地の重要性の違いを見て取れる。神代七代はラスボスにイザナギイザナミがいるんだけど他で面白いのはウイジニとスイジニかな。幼少期にこの神のビジュアル見てトラウマになった。
(https://shinto-jinja.jp/?p=1251)
この2神は土壌の神でありここでの誕生は国土が安定してきたことを表してる。神代七代からは男女っていう性別が生まれ始めたのも大事なところ。クニノトコタチ、トヨクモノまでは性別なしの一人神だから、この後で今につながる営みが始まったってこと。日本神話は何か変化が起きたら神を生み出す習性がある。
今回はここまで。次回はイザナギとイザナミの国生み、神生みから。
一人旅part3 伊勢志摩の旅
たまにはブログ的なもの書こうかなと思いました。
part3って言いながらpart1と2の記事はありません。
さて、今日は今月4日しかない全休日の貴重な1日だった。元々は顎の長い高校からのダチと狂ぶ(あそぶ)予定やったけど、顎が長いくせに整形外科でもなく皮膚科に行く予定を忘れてたとかいうのを今朝連絡してきやがった。私は何で整形外科に行かないんだという怒りが湧いてきた。そして空っぽになった予定を埋めようと何処かに行こう!となった。ユニバ(大阪)とディズニー(千葉)で迷ったけど今回は間をとって伊勢神宮(三重)に。
日本神話好きの私として伊勢神宮はいつか行かなければならない場所だった。伊勢神宮はどんな神社かというと、一言で言うなら最高ランクの神社。他の神社の上に立つ存在。国津神系最高の出雲大社に対して天津神系最高の伊勢神宮みたいな感じ(https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2019/06/27/200340)。
祭神も天照大御神と全てが最高峰。こりゃ行かなきゃならんでしょ。
九州にいる頃だったら絶対にこんな気軽に行こうとはならなかったと思うと今大阪にいるメリットをまた一つ感じれた。調べたら在来線で最寄駅から2時間半。9時半に思い立ち、10時に家を出て阪急南茨木へ。
阪急南茨木からは阪急の終点梅田の他に地下鉄堺筋線に直通して天下茶屋まで行くやつがある。他社線直通の概念って九州にいるとなかなか実感がないけど関西関東ではありふれた事象。天下茶屋直通はオタクの聖地日本橋に乗り換えなしで行けるから本当に便利。今回は日本橋で地上に出ずに千日前線で鶴橋へ。
鶴橋から近鉄。日本で一番路線が長い私鉄。鶴橋駅の下ってどうしてあんなにスラムなの???
ビスタカー車の2階席。風景が良く見れる。大阪内は住宅街を走り奈良に入ると山に囲まれ三重に出ると広大な田園風景が広がる。中3の頃鉄道研究部に所属していた私は巡検で近鉄難波から名古屋に行ったことはあったけど伊勢中川から南は初めて。たまーにJR参宮線と並走する長閑な路線でしたね。
伊勢市で降りて外宮見てバスで内宮に行った。結論から言う。伊勢神宮ヤバいよ。マジで。感じる「気」が違う。ふざけた事を言ってるように聞こえるかもしれんけど本当。神社好きで今までいくつもの神社を巡ってきた私にとってもこれまでの霊気を感じたのは高千穂以来。川、山、木、砂利、空気、全てが神殿って感じだった。それでいて主宮は他の神社と比べるとかなり小さいんだよね。でも風格は十二分にある。これは来てよかった。
そうそう、御朱印帳もゲットした。伊勢神宮の御朱印帳はダサいとか言われてるけどやっぱここの御朱印帳で始めたかった。これから御朱印集め始めます。また橿原神宮にも出雲大社にも高千穂神社にも行かんと…。
↑最初のページは内宮と外宮。ここから始めたかった
猿田彦神社と外宮にも行って少し時間が余ったので伊勢湾を見に鳥羽まで足を延ばすことに。伊勢市から鳥羽は近鉄でも行けるけどあえてJRを選んだ。名古屋から直通する快速みえに乗りたかったから。
鳥羽駅はJR参宮線の終着駅。終着駅ファンの私にとって鳥羽駅はなかなか良い味出してるなと思った。末端ホームもいいけどホームの先少し行ったところに車止めがあるのはさらなり。
海見えたけど島が多くて大海原感は無かった。でも海風と潮の匂い感じれて大満足。↑の写真の陸の部分は島で橋とか通ってないから船でしか行けないんだけど、こんなに近いのに最初は行けないRPGのボスフロアみたいに感じた。
波止場には一艘の船が沈んでた。こういう風景見るとなんとも言えない恐怖感が渦巻いてくるんやけど分かる人いる?
行きは鶴橋から伊勢市までやったけど帰りは鳥羽から鶴橋まで近鉄特急に。
観光特急しまかぜ!!切符がなかなか取れないことで有名なこいつが、直前に券売機で調べたらなんと1席だけ空いてた。奇跡。これも伊勢神宮のおかげだ。
快適すぎ。これが普通の特急料金+1000円ちょいで乗れるんだから大したもん。「特急しまかぜのおかげで、目的地を出た後も家に帰る道のりまで特別感を味わえる最高の旅になりました。」←近鉄さん、このレビューを宣伝に使っていいよ。
帰ってきたら家のクーラー付けっ放しだったこと以外最高の1日でした。人混み嫌いな私にとって平日行ったのは正解だったね。
初代パズドラの歴史
中3からスマホにして確かその時からパズドラを始めた。なのでもう8年目?くらい。
当時はスマホが普及したての頃でアプリの数も少なかった。パズドラの他だとカートゥーンウォーズとか流行ってたっけ。バスの中でスマホ横にしてたら当時はカートゥーンウォーズかにゃんこ大戦争の2択だった。はず。
パズドラはずーーっと人気ランキング1位だった。なーんでこんなに人気なんだろって思ってたのと、何となく人気なアプリをする気にならずしばらく様子見してた。そしたら太鼓の達人の師匠であるN氏がどハマりしてるのを見て私も始めた。正直最初は何が楽しいか分からんかったけど、気付いたらスタミナ1回復する10分間が待ち遠しくなっていた。
リセマラという概念も無かったから最初にレアガチャ引いて出たアースゴーレムを最強だと信じてずっとリーダーにしてやってた。サブはアワりんとかリットとか。すぐに全然勝てなくなった。
それまで石5個たまるたびにレアガチャ引いてたんだけど、N氏からごっとふぇすなるものを待ったほうがいいって言われた。しばらくしてゴッドフェスが来た。当時のフェス限は緑オーディンだけ。3回引いた。
!!!!!!!!!
N氏は真ん中のやつは使えるって言ってくれたけど、それは憔悴した私の心を慰めようと無理に言った言葉だとすぐに分かった。
土日には今でも経験値の美味しい土日ダンジョンが来る。ここでN氏が言ってた言葉が分かった。岩の魔剣氏は進化するとエンシェントドラゴンナイトになってそこそこ強いのだ。それで上級までクリアしたものの超級がクリアできない。N氏にパーティを見せた。
「スキルって知ってる?」
すきる?使った事なかった。パズルだけでごり押してた。変換スキルとか入れると強いよって言われたけど、どのスキルが強いのか分からなかった。ボックスを見せてパーティを組んでもらった。一番右側に入れてたアイスゴーレムが抜かれてこいつが入ってた。
↑確か当時は変換スキルだった
????なんかよく分からんの入ってんなーと思ったけどその後すぐに超級クリアした。スキルって使うもんなんだなーって学んだ。
その後はまぁ順調にやってた。ヘラ降臨(当時降臨はヘラ、勇者、ゼウス、女神だけだった)も友達のアマテラスと僕のかわいいゴブリン虹クリで2時間くらいかけてクリアしたし、ランクも140くらいまで上げてたかな。でも一つイライラする事があってそれはここまで1体も神タイプを当ててない事だった。周りの友達がミネルヴァとかハーデスとか当て始めてるのに私のリーダーはずーっとプレシオス。嫌になってきた。次のゴッドフェスで引いたのは光の魔剣氏だった。友達がこいつ進化すると神タイプなるよ!って慰めてくれた。喜んで育成した。初の神タイプ、さぞかしリーダーで使えるだろうと思って進化させた。どんなパーティ組もうかとワクワクした。リーダースキルを見た。
「神タイプ2倍」
アンインストールした。
ドイツ王家
テスト期間で世界史を勉強できない鬱憤をここで吐き出そうと思い立ちました。
神聖ローマ帝国内で有名な王家といえばハプスブルク家ではないでしょうか。オーストリア大公位を継承し神聖ローマ皇帝位も兼ねた。16世紀にはスペインにも波及してネーデルラントも領有し、ヨーロッパの半分を支配した。全盛期はオーストリア、ボヘミア、ハンガリー、スペイン、ネーデルラントとか。ちなみにスペインハプスブルク家の王って顎が長い人が多いんだけど(フェリペ2世とか)、これは近親姦を繰り返したから。やっぱ影響出るんやね。
んでハプスブルク家を抑えて最終的に勝利したのがホーエンツォレルン家。ブランデンブルク辺境伯からプロイセン王国に続き、ドイツ皇帝位を得た。ハプスブルク家とホーエンツォレルン家は仲が悪そうに見えるけどもとは凄く協力し合ってた仲。ハプスブルク家もホーエンツォレルン家も出どころは近い。ハプスブルク家が無名の時ホーエンツォレルン家が後押ししてやっと領地を得た話もある。
あと、神聖ローマ帝国内からは色々な国の皇帝が出てる。有名なのはイギリスのハノーヴァー朝だけど、他にもオランダのオラニエナッサウ家とか、ベルギーのザクセンコーブルクゴータ家とか、デンマークのグリュックスブルク家とか。もちろん、スペインのハプスブルク家も。これ全部神聖ローマ帝国内の家系。ずーーっとその国内の家系が王をしてたのってヨーロッパだとフランスくらいじゃないかな?上手に家系を繋ぐのって大変。
日本だと中々他国の王家と婚姻とかって考えにくい。島国と大陸で条件も違うし。ただ、天皇家が最古の王朝として存在してるのはこの島国様式のおかげかもね。
ち・な・み・に王と皇帝の違いって何?ってよく聞かれるけど、皇帝はエンペラー=インペラトル=力ある者の意味。対して王はキング=ケーニ(ドイツ語)=血筋という意味。だから、王になれるのはその民族の王の血筋を持つものだけ。コルシカの田舎者ナポレオンが王になれず皇帝になれたのはその理由。王は一民族に一人、皇帝は多民族の王を束ねる存在。ってのが語源ってだけで日本にこの考え方が輸入され和訳される際曖昧になってるけど。単に皇帝>王の関係だけ残った。って考えると天皇がエンペラーっておかしくね?ってなるけど、むかーしのあるドイツ人が天皇をエンペラーって呼んだのが広まったらしい。長い歴史の中の正当性と権威を認めたから。まぁ125代続くって相当やわな。
オチなし。
荀彧という男
レポート対策のためいつもバイトの月曜なのにシフトを外しました。興味0の4500字レポートを諦めたら時間ができたのでこれを書いています。
第5弾は荀彧。後漢末期を生きた人物であり、三国志を彩る人物の一人。その知は王佐の才と称えられた。これは王を佐ける(たすける)才脳という意味。
実は荀彧はもともと袁紹に仕えていた。後に魏の礎を築く曹操に仕え、「我が子房」と歓迎された。子房とは前漢建国の功労者である三傑の一人、張良のこと。それだけ荀彧を大事な人材として認識していた。ちなみに三傑の残りは蕭何(https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2019/04/25/211516)と韓信(https://tsuki-mecha.hatenablog.com/entry/2019/04/18/003448)。曹操の下ではその知能と人脈を存分に活かした。曹操陣営のブレーンといえば荀攸、郭嘉、程昱などが挙げられるが、そのほとんどが荀彧によって推挙された者。彼らの活躍無くして曹操の覇はなかった。
将軍として兵を率いるシーンはほとんどないが、曹操が留守の間に、呂布と組んで謀反を起こそうとした張邈の真意を見抜き城を死守したことがある。この時死守した3城から曹操は再起して呂布を滅ぼすに至る。
曹操にとって一番の転機といえば放浪する後漢のラストエンペラー、献帝を庇護したことだろう。これを提案したのも荀彧。献帝を自分の下に置くお陰で曹操は官軍という虎の威を借り、反抗勢力を逆賊として討伐する大義名分を得た。この後曹操の勢力は急速に拡大していく。
では荀彧は曹操のためだけに献帝を庇護することを計画したのかと言われると、そうではない。なぜなら、荀彧の仕える主君は曹操であると同時に当時満身創痍であった後漢そのものだと言えるからだ。
荀彧は曹操に後漢復興のために散らばった勢力をまとめ上げるよう献策した。この目的は表向きでもなんでもなく、本心からだった。呂布討伐の機会を進言したのも、官渡の戦いで最大の敵袁紹に挑む際弱気になった曹操を勇気付け勝利へ導いたのも、袁家滅亡の策を立てたのも全てが後漢のためだった。荀彧は後漢に仕える曹操に仕えていたのであり、後漢の臣であったといえる。
一方曹操にとっては後漢復興を旗印に掲げながらも、それは表向きに過ぎなかった。呂布を滅ぼすのも、袁紹を滅ぼすのも、自分が新しい時代を築くためだった。そして彼はそれを周りから許されるほどの天才的頭脳とカリスマ性を備えた、千年に一度の大物であった。領土拡大と曹操の地位が確固たるものになるにつれて、曹操を「魏公」とする声が上がり始める。
ふたりの主従関係はここから崩れ始める。公という地位は王の次に位置し、皇帝の下に位置しながらも独立した力を持つ。荀彧は曹操が魏公になるのを諌めた。あくまで後漢の臣下として振舞うことを願う荀彧と魏公になりたい曹操。両者の関係は悪化していく。
ある時、荀彧は遠征中の曹操からおみやげに器を贈られる。中身を見るとからっぽ。これを見た荀彧は全てを悟り自殺した。
何を悟ったかは下の例がある。
①パターンA
曹操「おみやげどうだった?」
荀彧「からっぽでした」
曹操「は?嘘をつくな俺に恥をかかせたな!」→死罪
パターンB
曹操「おみやげどうだった?」
荀彧「美味しかったです!」
曹操「は?あれは器を贈ったのにお前嘘ついてるな!」→死罪
というシナリオ。
②
単にお前は用済み(からっぽ)だ という曹操からのメッセージ
荀彧の死後まもなく、曹操は魏公になる。
以上。不遇な死を迎える人ばっかり取り上げてしまうあたりこういう物語が好きなんだろうな。固まったものが一瞬で崩れ去る感じが好きというかなんというか唆る。今回は後漢の忠臣、荀彧でした(諸説あり)。
レポート逃避
レポートに追われる期末期間は色々と脱線してしまう。こうやってブログ書いてるのもそれ。4つ目のレポートが全然進みません。
脱線してここきたけど何も書くことない日常だったわ。
あ、今日イチのニュース。ミスタードーナツ買いました。私が一番好きなのはチョコファッションなんだけど、復刻キャンペーンで超チョコファッションみたいなのが売ってた。
チョコファッションはオールドフファッションにチョコがチョコっとだけついてるんだけど、超チョコファッションはチョコがチョコっとじゃなくてチョー付いてる。
惹かれて買ってみたけどチョコファッションの方が良かったって思った。
まず、チョコファッションの良さの一つである持ち手が溶けないっていう利点を殺してる。チョコファッションはオールドファッション部分を持って食べることでチョコが溶けないようにできてる。でも超チョコファッションはどこ持っても溶けるからチョコっと不快になる。そして重い。頭痛くなった。チョコファッションのあのチョコの量はよく考えられてるなーって改めて思ったよ。
ミスタードーナツのミスドっていう略称はどこも一緒な感じする。地元ではマクドナルドはマックだしセブンイレブンはセブンだったけどこっちにきてそれで話してたら関西人以外が口聞くんじゃねぇってぶん殴られた。エスカレーター左に立ってると刺されるし。
エスカレーターといえば私の高校の近くにあったサンリブのエスカレーターが足のスピードと手のスピードにかなり差があったのを覚えてる。おばあちゃんが何もわからず手を離さないで乗ってると降りる時には長座体前屈みたいな格好になってた。あのサンリブテナント撤退しまくって抜け殻みたいになってたけど今も残ってるんかな
残ってたわ。
最近ゼミの資料で久留米がよく出てくる。B級グルメによる地方創生の例。六ツ門とかに結構店多いしね。個人的に久留米は暴力団のイメージしかないんだけど全国的に見たらそうでもないみたいってか私のただの偏見かも。
いつか当時みたいに久留米をチャリで巡りながら色々な思い出話しをしたい。寮生の味方ザビッグ、その隣のシュークリームが美味いケーキ屋、カード屋スマイル、バカマンソー、マリカしまくったゆめタウン、みんなでゲームして追い出されたジョイフル、テスト後に3時間かけて歩いて帰っていた時の中継地点である筑後川河川敷、ガチで水鉄砲合戦をした百年公園、くるめウス、大砲ラーメン、龍の家、モヒカン、コードナンバー1(1番街ゲーセン)、4(新合川ゲーセン)、5(GO遊ゲーセン)、9(櫛原ユズボ ゲーセン)、、、。
go遊よく行ったな。VIPカードまだ持ってるわ。補導員に捕まりそうになって友達と裏口から逃げたのもよく覚えてる。
何の話してたっけ。まぁいいか